鹿島美術研究 年報第34号
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2. セビーリャ、サンタ・カリダード聖堂研究―ムリーリョの「七つの慈悲の業」連作をめぐって―みなすように促す。つまりこの女性には、誘惑者でもあり被誘惑者でもあるという二面性が与えられている。そして③については、《私》に描かれたヒュプノス像の存在が重要となる。「誰が私を救うべき」でロセッティがキリスト教の父なる神に救いを求めているのに対し、《私》にはヒュプノスの頭像が登場しているのだ。この大きな相違点に着目するならば、敬虔なキリスト教徒であったロセッティとは異なる、クノップフ独自の思想のあり方がうかがえるだろう。ロセッティの詩に表わされている、内面における制御し得ぬ自己の自覚は、19世紀に研究が発展した無意識の問題にも結びつくものである。《私》の考察からは、クノップフがこうした詩の内容を汲み取り、彼自身にとっても重要な命題として、自らの造形語彙を用いて絵画化したということが示唆される。発表では、それがクノップフ晩年の「自我の館」での生活を予告するような内容ともなっていることにも触れたい。上智大学ヨーロッパ研究所 客員所員 豊 田   唯本発表では、これら計11点の作品のうち、早くに制作が始められた7点、なかでも主祭壇衝立を除く6点のムリーリョ絵画(《アブラハムと三天使》、《聖ペトロの解放》、《放蕩息子の帰還》、《身体の麻痺した人を癒すキリスト》、《ホレブの岩の奇跡》、《パセビーリャのサンタ・カリダード聖堂は、地元の信徒会の一つであるサンタ・カリダード兄弟会の本拠として1645年に建設が始められた単廊バシリカ式の聖堂である。カリダード兄弟会の創立以来の目的は、「死者の埋葬」を通して対神徳の一つである慈愛を積み、みずからに死後の救済を保証することであった。一方、1663年就任の会長ミゲル・マニャーラ(1627~79年)は新聖堂の内部装飾も重視し、イニシアティブをとった。その結果、1674年の献堂時、堂内は8点のバルトロメ・エステバン・ムリーリョ(1617~82年)作の絵画と2点のフアン・デ・バルデス・レアル作の絵画、そしてベルナルド・シモン・デ・ピネーダ設計の主祭壇衝立により鮮やかに彩られることになる。― 30 ―

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