3.高橋源吉の研究発表者:山形大学地域教育文化学部 教授 小 林 俊 介(代表者)ンと魚の奇跡》)に目を向け、その連作としての構造と機能の一端に迫りたい。というのも、この聖書説話画連作については、これまで「七つの(身体的)慈悲の業」のうち、主祭壇衝立に掲げられた「死者の埋葬」以外の六つの暗示(順に「宿を貸す」、「囚人を訪ねる」、「服を着せる」、「病人を見舞う」、「飲み物を与える」、「食べ物を与える」)である事実が確かめられるにとどまり、各作品の物語選択や堂内配置の理由はおおよそ探られてこなかったからである。それらの問題へのアプローチとして発表者は、まず、ムリーリョの連作を「七つの慈悲の業」図の系譜へと位置づけた後、対抗宗教改革期の説教を手がかりに6点の絵画が「七つの慈悲の業」のみならず、聖餐(エウカリスティア)を暗示していた可能性を指摘する。本発表の結論によれば、まず、ムリーリョの「慈悲の業」連作における聖書への仮託は、対抗宗教改革の文脈において「七つの慈悲の業」を正統なものとして擁護する手段であった。しかしながら同時に、先行研究の指摘の通りに内陣前の《ホレブの岩の奇跡》と《パンと魚の奇跡》の物語は、その下方で執り行われる聖餐の典拠としても機能しているのであろう。一方、「アンダルシアの使徒」こと聖フアン・デ・アビラ(1499/1500~69年)の説教の一つでは、聖餐が至高の「慈悲の業」に位置づけられ、その理由が「宿を貸す」行為と「囚人を訪ねる」行為を筆頭に説明されている。この事実に鑑みれば、カリダード聖堂の「慈悲の業」連作でもまた、冒頭の絵画である《アブラハムと三天使》と《聖ペトロの解放》が堂内装飾への「聖餐」の導入を担ったうえで、「七つの慈悲の業」と聖餐の有機的な提示が試みられていたように思われる。つまりムリーリョの「慈悲の業」連作は、カリダード兄弟会の会員に対して単に「七つの慈悲の業」の全容と正統性を説くにとどまらず、その神学的な基盤としてフアン・デ・アビラにより改めて称えられた聖餐の権威を掲げることで、彼らが救済に向けてともに辿るべき道を指し示していたのではなかろうか。高橋[柳]源吉(1858-1913)は近代洋画の祖といわれる高橋由一の長男で、本邦初の本格的な洋画団体である明治美術会の創立会員として、また『高橋由一履歴』の編者として、明治期の洋画界において中心的な活動を行っている。しかし、その業績はこれまで明確には評価されてこなかった。― 31 ―
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