鹿島美術研究 年報第34号
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研究目的の概要① 近代日本における裸婦像の変遷 ―官展を中心に―研 究 者:小杉放菴記念日光美術館 学芸員  清 水 友 美日本では、黒田清輝が1895(明治28)年の第4回内国勧業博覧会に出品した《朝妝》を嚆矢に、「裸体画論争」が幾度となく勃発した。近代日本の裸婦像については、既に多くの先行研究があるものの、いずれも特定の時代・画家に限定して論じられており、通史的な研究がなされているとは言えない。特に、日本の洋画壇のメインストリームである官展の裸婦像は、先行研究において言及されることは少なく、これまでの裸婦像研究において見落とされてきたに等しい。また、これまで筆者は、先述したとおり、白馬会・文展・二科展の裸婦像について研究を進めてきたが、先行研究においても、大正後期以降の裸婦像については詳細な研究が十分になされていないため、今後より深く研究する必要がある。そこで、本研究は、筆者のこれまでの研究に引き続き、日本の官展である帝展・新文展の裸婦像を取り上げ、警察との関係を視座に据えることによって、近代日本の裸婦像の様式的変遷を探ることを目的とする。まずは、帝展・新文展に展示された裸婦像の作風を分析し、さらに美術雑誌に掲載された展覧会評から、当時どのような裸婦像が制作されたのか、そして当時どのような批評がなされていたのかを読み取る。さらに、新聞記事・警察関係の機関誌を研究の対象に入れ、当時の一般市民が裸婦像をどのように受容し、警察がどのような考えで裸婦像を取り締まったのかを明らかにする。これらを踏まえ、帝展・新文展に展示された裸婦像を年表形式にまとめ、そこに当時行われた取り締まりを加えることによって、近代日本の官展の裸婦像がどのように変遷し、さらに警察の取り締まりがどのような影響を及ぼしたのかを明らかにすることを目指す。本研究には、以下の意義がある。そもそも、先述したとおり、これまでの官展を取り上げた先行研究では、改組問題やそれに伴い独立した在野展をクローズアップしたものが多く、官展の作品そのものが看過されていた傾向がある。まず、官展の裸婦像― 35 ―Ⅷ.2016年度「美術に関する調査研究」助成者と研究課題

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