④ 岸田劉生の静物画と同時代陶芸の関係をめぐる一考察本研究の価値は、まずモネ研究において等閑視されてきた80年代を再考し、意義付けることに見出せるだろう。さらに、非常に錯綜した諸要素の連関を総合的に分析するため、それから画業の意義を明らかにする方法が確立すれば、一つのモデルケースができることになる。また、これまで本格的な分析の対象とはならなかった画商、美術批評家、蒐集家などに光を当てることで、これまで想定されてこなかった関係性が明らかになる可能性も大いにある。実際、第一回印象派展から美術批評を書き続けてきながらも、十分に検討されてこなかった人物(例えばアルマン・シルヴェストル)も存在する。またその分析した情報は他の印象派研究にも適用できるため、印象派研究全体を押し広げ、活発な議論を誘発することもできるだろう。研 究 者:福岡市美術館 学芸員 吉 田 暁 子調査研究の目的 近代日本絵画における岸田劉生の静物画の重要性筆者は「物・語 -近代日本の静物画-」展(福岡市美術館、2015年5月14日~7月3日)を開催し、近代日本における静物画史を踏まえた上で、岸田劉生による1916年の静物画制作において、器物の把手と人間の手とが連続したモティーフとして構想され、それが《静物(手を描き入れし静物)》(1918年)における、静物画に手を描き入れるという異例の表現に結びついたという意見を主張し、この発想にゲオルク・ジンメル「瓶の把手に就て」(木下杢太郎訳)が影響を与えた可能性を指摘した。岸田劉生の静物画については、厳密な空間構成や緻密な描写が賞賛される一方で、《静物(手を描き入れし静物)》に代表される恣意的な構図には否定的な意見も根強く、評価は今なお分かれている。しかし、外来の画題や表現手法に多くを依拠した近代日本絵画の一ジャンルとしての静物画の成り立ちを考える上で、既成の表現を受容するだけでなくその意義を根本から問い直す《静物(手を描き入れし静物)》のような試みは、再び顧みられるべき重要性を持つと筆者は考える。上記展覧会では、発想の源泉が明らかでないことから「こけおどかし」などと揶揄された「手」の表現が、2年前から静物画と並行して描かれるモティーフであること、それを陶磁器と結びつける論文が存在することを指摘した。手を静物画に描きこむという異例の表現は、陶磁器をめぐって著された最新の芸術論と関連して構想され― 39 ―
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