⑤ ギリシア人画家ニコラオス・ギジス研究た可能性がある。論文を翻訳した木下杢太郎は、岸田劉生の芸術に初期から注目し評価していた一方、リーチや富本憲吉による新しいタイプの陶磁器についても積極的に批評しており、油彩画と陶磁器とは、現在よりも近い関係性にあったとも考えられる。上記より、本研究では岸田劉生の静物画と、同時代の陶芸という変革期にあった造形芸術との関係性について検討したい。画中の陶磁器を同時代の陶磁器と比較し、絵画のみならず陶磁器を含めた芸術批評の中に置き直すことで、造形的探求であると同時に思想的な挑戦でもある表現の複層性が明らかになるだろう。さらに、同時代の陶磁器と岸田劉生の静物画の関係を明らかにすることによって、岸田劉生の芸術を、日本近代絵画という限定的な分野を超え、世界各地で起きていた若い芸術運動との関係性の中で捉える途が開かれる可能性があると考える。研 究 者:岡山県立美術館 学芸員 橋 村 直 樹ギリシア人画家ニコラオス・ギジスは、1865年に23歳でミュンヘン美術アカデミーに留学し、高名な歴史画教授カール・フォン・ピロティ(1826-1886)に師事した。後にピロティの後継者としてアカデミーの歴史画教授となるフランツ・フォン・デフレガー(1835-1921)や肖像画家として名を馳せるフランツ・フォン・レンバッハ(1836-1904)、あるいは原田直次郎のミュンヘン留学時代の師として知られるガブリエル・フォン・マックス(1840-1915)らとともに、名高いピロティ門下の一人であった。1869年にミュンヘンの王立水晶宮で開かれ、ギジスも出品した第1回国際美術展覧会では、若きヴィルヘルム・ライブルがレアリスムの巨匠クールベによって高く評価されたが、そのライブルとは美術アカデミー入学時に初歩クラスで出会っていて、すぐにギジスは前衛的なライブルの仲間となっていた。ギジスは1872年にアカデミーでの学びを終えるが、その後、ギリシアに一時帰国したことによって明るい光と陰影表現を自らのものとし、故国ギリシアやドイツの庶民の日常を描いたレアリスム的作品を1880年代前半まで残している。80年代中頃以降は、後のミュンヘン分離派に連なるような、聖書や神話に取材した象徴主義的な主題に取り組んでいて、後年には本の表紙絵やポスターなどグラフィックな仕事もこなすなど多彩な画業を残した画家であった。しかしながら、ギジスは、故国ギリシアを除いてほとんどその名が知られ― 40 ―
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