⑦ 山名文夫におけるイラストレーションの研究研 究 者:群馬県立館林美術館 学芸員 野 澤 広 紀山名文夫は、広告ポスター、雑誌広告、新聞広告のイラストレーションやパッケージデザインなどを手がけただけでなく、デザインの理論家として、大学での教育者としても、後世に大きな功績を残した。山名研究に関しては、彼の線描の魅力に惹かれた研究者たちによって進められ、その充実した内容は『研究紀要おいでるみん』に結実している。本研究は、2015年に群馬県立館林美術館にて開催した、自主企画の展覧会「山名文夫とアール・デコ ―資生堂スタイルの確立者―」がきっかけとなる。戦前の山名は、竹久夢二風の抒情的な女性像、いわゆる夢二式美人像からスタートするが、国内に流入したフランスの雑誌に触発され、プラトン社の雑誌『女性』や『苦楽』の表紙や扉絵に、アール・デコ風の女性像を描くようになる。そして徐々に独自の展開を見せ、戦後、新聞広告や雑誌広告の仕事を通して、計算された線描と余白を活かしたレイアウトによる、洗練を極めた様式へと到達する。山名の線はシンプルになることでより抽象性を帯び、記号としての意味合いを強くしたが、同時に、広告デザインと山名イラストレーションの親和性の強さを見出すことができる。彼のデザイン理論が確立していくのは、1933年に名取洋之助によって設立された、写真とグラフィックの制作集団である日本工房での職務経験によるところが大きい。そして、彼の人生の集大成と言えるのが、1976年にダヴィッド社より発行された著書『体験的デザイン史』である。戦前から戦後にかけての日本のデザイン史を縦覧できる名著であるが、彼の自伝的、回顧録的要素が強く、かなり網羅されているものの、そこで山名が全てを語っている訳ではないことが、研究者によって指摘されている。そのため、作品の構成要素であるモティーフをつぶさに洗い出し観察しようとする本研究は、山名が記述しなかった行間を埋めるものとなるであろう。以前、展覧会準備のため資生堂企業資料館にて調査を行った際、3冊のスクラップブックを発見した。そこには、山名や彼のライバル的存在であった山六郎の、印刷物になったイラストレーションが切り貼りされ収録されており、イラストレーションの構成要素に見られる意識を探る上で貴重な資料と成り得ると考えた。今回はこれらの他にも、山名がライバルであった山六郎とプラトン社時代に手がけたイラストを厳選― 43 ―
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