⑨ 豊前・豊後国における近世仏涅槃図の展開比定されると考えられてきた。地獄草紙諸本については上記の3本及び旧原家本の一場面であると考えられる「地獄草紙断簡(銅釜地獄)」(ボストン美術館)の詞書の典拠が経典であることは明らかであるが、益田家旧蔵「辟邪絵」や、詳細な研究がなされておらず出典も不明であるにもかかわらず「地獄草紙」の断簡であるとされてきた「地獄草紙断簡(勘当の鬼図)」の詞書の典拠は明らかでない。筆者は「地獄草紙断簡(勘当の鬼図)」を調査したうえで、詞書からも「〔第七櫃絵目録〕」(兵庫県立歴史博物館)と関連付けて、「地獄草紙」ではない別の種類の絵巻である可能性を示唆し、位置づけを新たに考えることとした。「辟邪絵」についても同様に、蓮華王院宝蔵絵巻における位置づけを改めて考察、検討する。日本における辟邪の信仰を概観し日本国内において平安時代以降、「辟邪絵」の類はどのように受容され、現存作品以外にも作品が制作されたのかを明確にする。また、旧原家本「地獄草紙」(奈良国立博物館)について、現在の最終段が別本の可能性が指摘されることを踏まえ、比較等の検証を通して、宝蔵「地獄草紙」の全容を明らかにする。この研究は蓮華王院宝蔵「六道絵」にとどまらず、宝蔵絵巻の全容を明らかにするうえでも意義深いと言える。「八幡宮縁起」や「六道絵」が後世の絵巻に及ぼした影響については、「春日権現験記」を中心に考察を進めたい。上記のように、改めて蓮華王院宝蔵絵巻について一件ずつ研究を行うことは、今後の当該分野の研究の発展に影響を与えるに違いない。宝蔵絵巻と目される他の作例に対しても目が向けられ、より深く研究が進められる契機となる。研 究 者:大分県立歴史博物館 学芸員 髙 宮 なつ美本研究で取り上げる豊前・豊後の仏涅槃図については、これまで中世の作例である宇佐市大楽寺本・日出町蓮華寺本・大分市金剛宝戒寺本について主に研究が進められてきた。大楽寺本および蓮華寺本については、近世に多くの模本が制作されていることが先学の調査により明らかとなっている。中でも大楽寺本の模本は、主として「海北」姓を名乗る絵師によって制作されたものが多い。海北姓絵師たちは、中津小笠原藩に仕えた絵師であり、宇佐神宮の神職である大神氏出身の一族であることが指摘されている。― 45 ―
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