⑩ 遼寧本「清明上河図」に描かれた宮室に関する考察 ―「蘇州片」の視点から―研 究 者:千葉大学大学院 人文社会科学研究科 博士後期課程 明の中後期から清の中期にかけては、蘇州を生産地とし、大量に制作された画巻の複製品は、「贋作」の性格を有しながらも人気が高かった。それらは「蘇州片」と呼ばれてきたが、中でも最も盛んに制作されたのは「清明上河図」の通行本である。美術史研究において、蘇州片の定義は未だ曖昧であり厳密な規定はなされていない。蘇州片を制作する工房の実態も不明瞭のままである。近年にいたるまで、蘇州片は「殆どが有名な作品を倣って作られた絵画」であり、また作品そのものは「呉門派の画風に大いに影響を受け、千編一律で筆法が虚弱無力で、図像が明らかに類似する」(楊丹霞:2005)として、低く評価されてきた。しかし、現在、そのような見方は大きく見直され始めている。楊莉萍氏(2008)は蘇州片に対し、その中に「古代書画の芸術伝統が見事に結晶していると称えられる作品も少なくない」と積極的にその意義を強調している。日本においても、2015年、大和文華館では、特別展「蘇州の見る夢」に因んで、画期的な意味を持つ国際シンポジウム「蘇州片をめぐる諸問題―中国と日本の観点から」が開催された。中日の研究者は蘇州片に対し、積極的に各々の研究成果を紹介した。中でも、国立台湾師範大学の林麗江氏は、当時蘇州で数多くの故事図を制作した職業画家が「文人と交流し彼らの賞賛を得て自身の作品の価値が高まること」を望んだと述べ、彼らと文人との交流が、文学性を強めた絵画制作に与えた影響の大きさを強調した。また板倉聖哲氏は、趙浙「清明上河図」とほぼ同時期に作られた「倭寇図巻」との関連性を明らかに、両図が「不安定な時代に安定を希求するという通底した指向が生み出したものであった」と指摘した。このように蘇州片に対する注目は着実に高まっており、再評価を促す研究環境も整いつつある。筆者は、自身のこれまでの研究において、遼寧本を蘇州片の一つと見なし、画巻に描かれた看板と扁額の文字を手がかりに、店舗や庭園などの細部の描写を詳細に分析し、表象全体の文脈や同時代絵画との共通点に照らして、その特徴を読み解いてきた。画家が遼寧本を制作する際に、その購買者や享受者として、文人たち、さらに文学素養を持つ当時「儒商」と呼ばれた商人たちを意識的に想定したとの私見を示した。特― 47 ―陳 璐 璐
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