鹿島美術研究 年報第34号
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に「武陵臺榭」、「環翠」、「集賢堂」の三つの看板に注目して、遼寧本の画家が当時の文化人グループに自由に出入りできる立場の人物であったと推測した。本研究は、遼寧本に描かれた宮室の表現に注目することで、仕女図との共通性や影響関係を明らかにし、当時の絵画市場における流行の主題と表現の特徴、さらには遼寧本の享受層を解明し、一層多角的に蘇州片が制作された社会的背景に迫ることを目指している。遼寧本に描かれた宮室は、元代王振鵬の「争標図」の構図を踏襲しながらも、大きな変容を示している。筆者は、新たに変化が加えられた部分を中心に考察する。明代嘉靖年間以降、社会経済が発達し、それによる社会風潮も倹約重視から贅沢を是とするものに転換していった。また文化面においては、経済の活発に伴い、上流層の文人に代表される「雅文化」と一般民衆の「俗文化」が互いに融合する趨勢があった。そうした時代ならではの特徴は、遼寧本に描かれた宮室の表現の大きな変化、すなわち「争標図」を受容しつつも変容させた箇所に表れていると判断できると筆者は考えている。特に本研究においては、とりわけ当時の人々が関心を持った二つのモチーフ、すなわち、女性の表象、および雲海に隠れる宮室の描写に具体的に注目する。まず女性表象については、先に述べた通り、対応する他の宮室図と仕女図を併せて検討する。目下のところ、仕女図の中で、宮室または庭園中の女性を描く作品中、遼寧本との共通性を示すと判断される作品として、大和文華館所蔵「四季仕女図」と大阪市美術館所蔵「九成宮図巻」を挙げたい。この二作品は、すでに特別展「蘇州の見る夢」において、蘇州片として取り上げられ解説が付されている。筆者は、遼寧本の宮室と両作品との比較分析を進めることで、蘇州片として制作された仕女図の制作状況の解明を目指す。次に雲海に隠れる宮室の描かれ方という点では、特に遼寧本に見られる独特な形の屋根に注目する。その形態は「九成宮図巻」、中国国家博物館所蔵「南都繁会図」などの画巻だけではなく、明末に出版された『剿闖通俗小説』などの小説挿絵にも見られる点に筆者は注目する。このような屋根の図像が、どのような小説の挿絵に見られ、どの程度広く浸透していたのかを分析することによって、蘇州片の制作工房と出版者である書坊の依頼で挿絵を手掛ける者との関係性を明示する重要な視点を見出すことができる。以上の考察を踏まえた本研究の意義は、遼寧本の総合的な特徴の解明を果たし、近年その美術史的な意義が特に論議されている蘇州片についての理解の進展に貢献する点にあると考える。― 48 ―

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