⑪ 橘小夢の作品と伝記に関する総合的研究研 究 者:秋田県立近代美術館 学芸主事 奈 良 香<意義・価値>橘小夢は、竹久夢二などと同時代に活躍した挿絵画家・日本画家であるが、公の記録として残っている雑誌や書籍の装幀と、家族に残された作品以外、その画業を今に伝える資料の多くは現存が確認されないままでいた。近年、秋田県内の愛好家宅から、作品が発見されるようになってきた。これらは、大正7~8年頃に、秋田県湯沢市で開催された「小夢画会」の時に頒布されたものが大半である。これまで10点ほど新規に作品が見つかっているが、小夢が残した記録(約180点を頒布)のままに作品が残っているとすれば、これからも新規の作品発掘が期待できる。また、東京で頒布していた作品の多くは関東大震災や東京大空襲により焼失したと言われているが、交友のあった作家宅など、再調査の必要があると考える。これらの作品を発掘・整理し、記録として残すことができれば、橘小夢の画業をより正確に把握することができる。<構想等>小夢の制作に影響を与えた文化的背景の考察:橘小夢は病弱だったため、幼い頃から絵を描いたり絵草子を読んだりすることを一番の楽しみとして育った。また、幼少期に母と妹を亡くし、実姉が養女として暮らしていた宮司宅に預けられることとなったが、そこで乳母や姉から読み聞かされた民話や奇譚などが制作の原点になっていると述懐している。こうした伝承文学が小夢の画業に与えた影響を考察する。同時代作家からの影響の考察:ご遺族の話によると「小夢」という画号は、小夢自身がつけたもので“小さくとも夢二のように”という思いの表れだったのではないかと推察されている。時代の寵児として一世を風靡していた竹久夢二をはじめ、高畠華宵、蕗谷虹児、中原淳一など、交友のあった同時代作家との影響関係などを考察する。併せて、ビアズレーなど、海外作家から受けた影響についても検証する。作品の編年的な整理:橘小夢は大正期より挿絵画家として活動をスタートした。そして、大正7~8年の秋田県湯沢市での「小夢画会」の発足を機に、日本画家として本格的に活動を開始している。その後、池袋の自宅アトリエを「夜華異相画房(やかいそうがぼう)」と名付け、そこを版元として版画の自費出版などを始めている。こうした作品を編年的に整理し、画業の足跡を検証する。― 49 ―
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