鹿島美術研究 年報第34号
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⑫ 被帽地蔵の図像成立に関する研究 ―地獄思想との関わりを中心に―研 究 者:対馬市博物館建設推進室 つしまミュージアムプロモーター小夢の画風の変化と時代との考察:橘小夢は中央画壇と距離を置き、自宅アトリエから愛好家向けに作品を頒布するなど、水面下での活動が多かった。そうした中で昭和7年に発表した代表作≪水魔≫が旧内務省から発禁処分を受けるなどし、その後はしばらく怪奇的・幻想的な作品を表立って発表することは控えていた。橘小夢のアトリエ設立の意味や愛好家達との関係、作品のテーマを追求することにより、移り変わる時代の影響を受けつつも在野の画家として活動を続けた画家の生涯について考察する。本研究の意義は、被帽地蔵の成立背景を明らかにするため、「頭巾」「錫杖」に内在する「地獄思想」を読み解く点にある。これまでの被帽地蔵研究では、なぜ地蔵菩薩が「頭巾」を着用したのか、という根本的な問題が解決されていない。頭巾は世界共通の服飾であり、自然環境に合わせて形態を変える。被帽地蔵の場合、そこには現実世界と死後世界の情景が人々の目に重なり合い発生したと推定される。つまり過酷な自然環境が、地獄世界の情景(灼熱・極寒)と重なり合ったと考えられる。本研究ではこれら「地獄思想」との結びつきから、被帽地蔵成立の問題を明らかにする。本研究の価値は、被帽地蔵の図像の意味を明らかにすることにある。仏教の図像は形のみが伝わるのではなく、形が何らかの意味・信仰を表象していることによって受容される。晩唐に『十王経』を撰述した成都府大聖慈寺沙門蔵川は、地獄信仰を広めるために地蔵と十王を結合させた。被帽地蔵の特徴である錫杖は、蔵川の時代に地蔵菩薩の持物となるが、それこそがかつて唐代の薬師がそうであったように「遊行・布教」を意味した。頭巾は地獄世界の図像として、錫杖は地獄に堕落した衆生を救い、そして地獄信仰を広める役割を持っていたと推測される。この図像の根本的意味を明確にすることにより、東アジア諸地域における被帽地蔵の受容背景を解決できると考える。本研究の構想は以下の通りである。― 50 ―大 澤   信

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