⑮ オルヴィエート大聖堂サン・ブリツィオ礼拝堂装飾の制作背景―腰壁装飾に見られるピントゥリッキオ工房との関連から―新たな解釈を提示することもできるだろう。このことは、神仏習合研究でしばしば問題となる言説と実態のズレ、すなわち、中央主導で推進されたものでありながら、その造形は多様性に満ちていることを解消するための糸口を与えてくれるものでもあろう。その結果、これまで研究の俎上に載せることが難しかった、地方の特色ある彫像たちが相互に有機的な関わりを持ちつつ、当地の造像の歴史を、ひいては日本彫刻史全体をより豊かに語りだすことにもなるだろう。研 究 者:九州大学大学院 人文科学府 博士後期課程 森 結オルヴィエート大聖堂サン・ブリツィオ礼拝堂の上部を占めるルネッタの図像解釈に力点を置いてきた先行研究に対して、本研究は、先行研究でも取り上げられることが極めて希であった、礼拝堂下部の腰壁装飾の様式分析に主眼を置くものである。本研究は建築的イリュージョニスムの様相と細かな装飾モチーフの分析から、本礼拝堂が同時代のピントゥリッキオ工房による教皇庁、あるいはローマでの壁画装飾が模範とされていることを確認し、各工房の動向と雇用主たる大聖堂造営局の意向という双方の視点、オルヴィエートと教皇庁との関係も踏まえつつ、本礼拝堂が対外的に教皇庁の要人の目を強く意識し、構想されたのではないかという仮説のもと、研究を進めるものである。本研究には以下の点で意義があるものと考える。まず第一に、先行研究上重要な焦点の一つであった、本礼拝堂装飾の助言者の特定に関する議論を、解決に導く仮説が提示できるという点である。本礼拝堂装飾は、終末論的なキリスト教主題に加え、古典古代の文学の題材をも含めたその複雑な装飾プログラムから、これまで様々な人物が助言者として想定されてきた。フィレンツェのサヴォナローラによる神聖政治の文脈と合わせて読まれていた本礼拝堂であるが、J.B.リースの研究(1995)以降、オルヴィエートと教皇庁との関係の中で紐解かれるようになった。その論調の中、装飾事業の助言者として近年とりわけ注目が集まっているのが当時の大聖堂助祭であったアントニオ・デリ・アルベリである。教皇庁とのパイプに加え、この人物は、本礼拝堂装飾と同時期に、大聖堂に、古今東西の学者た― 54 ―
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