鹿島美術研究 年報第34号
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ちの肖像で飾らせた私設図書館を設けており、この点からも彼を本装飾事業の助言者として想定はできる。しかし先行研究は本礼拝堂の作品分析と結びつけ十分にこれを論証する手続きを欠いていた。本礼拝堂装飾とピントゥリッキオ工房のローマ及び教皇庁での壁画装飾との関連を指摘し、アルベリと教皇庁との関係にさらに踏み込もうとする本研究は、上記の先行研究上の仮説の蓋然性を、なお一層高めることができると考える。第二に、当時の工房同士の連携についての一つのケースを提示できるという点である。本研究ではシニョレッリによる本礼拝堂のグロテスク装飾と、ピントゥリッキオ工房のグロテスク装飾の形態の類似を新たに主張するが、類似を指摘するばかりでなく、何故、そして如何にして本礼拝堂にピントゥリッキオ工房の図案が導入されるに至ったかを考察する。その過程でピントゥリッキオ工房の助手を介した、当時のシニョレッリ工房とピントゥリッキオ工房の結びつき、装飾の図案の流入の経路が明らかになることが期待される。共同制作の立場に置かれていたのではない二つの工房が、積極的に結びついていたように考えられる本装飾事業のケースは、同時代的に見ても、非常に特殊なケースとして考慮されるに値する。最後に、本礼拝堂における古代趣味の導入の背景と意義とを、改めて問い直すという点である。この点に関して深く踏み込む先行研究は無かった。筆者は上記のアルベリが、シエナの枢機卿であり1503年には教皇ピウス3世となるフランチェスコ・トデスキーニ・ピッコローミニの秘書を務めていた事実が肝要であると考える。ピッコローミニこそピントゥリッキオに、シエナ大聖堂内の自身の私設図書館たるピッコローミニ図書館(1502-c.1508)を、グロテスク装飾含む古代趣味でもって飾らせた人物であった。加えて教皇就任と共にアルベリを枢機卿に任命した人物でもある。つまり、このアルベリとピッコローミニの結びつきと彼らの古代趣味、先行研究で既に言及されてきたオルヴィエートと教皇庁の関係を勘案すれば、本礼拝堂は、アルベリという個人の位相においても、オルヴィエートという都市の位相においても、教皇庁に追従の意を示す装飾プログラムが組まれ、本礼拝堂のピントゥリッキオ工房による古代風装飾の導入は、それを視覚的に顕示する役割が付されていたと仮説づけられるのである。故に本研究は、サン・ブリツィオ礼拝堂を様式論による手続きを踏まえながら、政治的な色合いの中でこれを精密に読解する、新たなる視座を提供できると考える。― 55 ―

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