鹿島美術研究 年報第34号
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⑰ アントニオ・ダ・モンツァを中心とした15世紀末ローマ芸術の研究る。マカベ礼拝堂は、寄進者の埋葬用礼拝堂として建てられたもので、奏楽天使は死者の魂を天上世界へと運ぶプシコポンプとして描き出された。筆者はサン・ボネ壁画の寄進について、フォレズの支配者アンヌ・ドーフィヌが第三の寄進者として資金援助を行い、亡き夫の思い出に捧げプログラムを完成したとの仮説をもつ。この際、天蓋部に描き出された「天使の奏楽」はマカベ礼拝堂と同様に、死者の魂を運ぶ役割を期待し選択されたと考えることが出来る。ジャケリオとサン・ボネの画家、マカベ礼拝堂壁画とサン・ボネ聖堂壁画との関係を詳細にすることにより、サン・ボネ壁画の寄進に関する筆者の議論をさらに固める見通しにある。十二の主題が描かれた各壁面に適切な比較対象を絞り込み、比較作例との類似と差異を、人物の顔や姿勢、衣の襞といった細部の表現、モチーフ選択、画面構成、プログラム全体のレヴェルに分けて比較分析を行い筆者の仮説を論証してゆく。以上の作業により、サン・ボネの画家がジャケリオ周辺においてどのように修業を経たのかを可能な限り詳細にしてゆきたい。すでにゲオルグ・トレッシャーが指摘しているように、サン・ボネ壁画にはジャックマール・ド・エダンやアンドレ・ボーヌヴー、ランブール兄弟による作品からの影響が見出される。アルプス以南の絵画からの影響を明らかにする筆者の様式研究を経て、15世紀初めの南北ヨーロッパ交流史を体現する一作例としてサン・ボネ壁画の意義が見いだされることになるだろう。研 究 者:日本学術振興会特別研究員PD(九州大学)  永 井 裕 子北イタリアのロンバルディア地方出身のフランシスコ会の修道僧であり、写本装飾画家であったフラ・アントニオ・ダ・モンツァに帰属される作品は10数点しか存在せず、未だに謎の多い画家である。個別になされてきたこの画家の画歴を網羅的に整理することで全体像を掴み、特にパトロンである教皇アレクサンデル6世の周辺での芸術制作と比較しながら分析することで、同時代のローマが多様な芸術的交流の中心地となっていた一例を明らかにすることができる。アントニオ・ダ・モンツァの作品に見られる様式的な特徴として、ヴィンチェンツォ・フォッパ(1430年頃-1515年)やレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年-1519年)― 57 ―

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