鹿島美術研究 年報第34号
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問題提起のないことを示した。また、これまで琉球王国の王妃が正装として紅型衣裳を着用してきた、中国冊封使や江戸へ派遣させる使節が琉球芸能を披露する際に芸能衣裳として紅型を着用してきた、という説についても検討した。その結果、これらを立証する文献はなく、むしろこのような正式の場では、染め物の紅型衣裳ではなく中国から輸入した緞子や綸子などの絹織物の衣裳が着用されており、それは中国文化に影響を受けた琉球王国の歴史的な背景を示すものとの見解を明示した。さらに、紅型衣裳が今日のように琉球を代表する染織品として認識されるに至る経緯を示した。それは、大正末期から昭和初期にかけて本土の美術愛好家が琉球に興味を持ち、日本の染め物と趣を異にする紅型に魅了され、多数のコレクションが誕生したために生じたムーヴメントであり、このような背景から当時復興した琉球芸能の衣裳としても紅型が着用されるに至ったことを示した。紅型衣裳の多くは第二次世界大戦以前に日本本土や国外においてコレクションされ、沖縄戦を免れることができた。筆者は国内にコレクションされている旧カネボウコレクション、日本民藝館、沖縄県立博物館に所蔵されている紅型衣裳を調査した。これらの作品はおおよその収集時期と収集者が特定できるものを中心に調査をおこなった。その結果、調査対象の作品が19世紀初頭から20世紀初頭に制作されたこと、衣裳の文様と生地の地色によって着装する階層の違うこと、組踊の衣裳に使用されるようになったのは昭和初期頃から、という研究成果を導き出した。しかし引き続きこの研究の精度を高める必要性を感じている。今後は、実行できなかった米国など、国外に所蔵されている紅型コレクションを調査したい。中心となる調査作品は、明治時代に収集されたもので、民族学的な研究対象として分類されているものである。これらは従来の研究を補う基礎資料的な価値を持つものと思われる。また新たに生じた疑問点(前述)にも答えてくれる可能性がある。以上の研究を遂行することで、いまだ曖昧な紅型研究において、この研究は一つの指針を与えるものであるとの意義を自負している。― 62 ―

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