蓮華王院再興造営と鎌倉時代後期の仏師に関する一考察研 究 者:鎌倉国宝館 学芸嘱託員 石 井 千 紘本研究では、蓮華王院再興造営に参加した仏師を分析し、彼らの造立した千体千手観音像の作風分類をおこなうことにより、当時、(a)仏師には三派以外にどのような立場・作風の仏師集団が存在したか、(b)彼らを含む仏師全体の社会的地位がどのように変化したか、また、(c)以後の仏師たちにどのような影響を与えたか、これら3点について考察し、鎌倉時代仏師論の拡充を目指す。建長3年(1251)に開始された蓮華王院再興造営は、鎌倉時代後期において最も多くの仏師が参集した貴重な僧綱補任の機会である。この造仏を網羅的に取り扱った論考は、昭和32年刊行の妙法院編『蓮華王院本堂千体千手観音像修理報告書』や水野敬三郎他編『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』第8巻(中央公論美術出版、2010年)が挙げられるが、ほかに、山本勉氏が「蓮華王院本堂千体千手観音像にみる三派仏師の作風―40・495・504号像を中心に―」(『MUSEUM』543、1996年)で千体仏の作風に言及されているものの、主要な仏師以外にも焦点を当てた研究はなされていない。山本氏による上記論文では、三派を代表する仏師の作風の違いを考察しており、千体仏のうち三派正系仏師作と目される多くの像には同様の特徴が見いだされる。これを参考としてより詳細に観察し、筆者自身の作風判断基準を構築したうえで、造像銘のみに頼らず改めて全体の作風分類をおこなうことで、個々の像の位置づけを明確にすることができると考える。また、蓮華王院再興像には、三派正系仏師には用いられた例のない「順」字を用いた名をもつ何人かの仏師が存在しており、こうした本来はあまり注目の及ばない仏師を取り扱うことは、当時の造仏界全体の動向を概観し、仏師同士の交流や派閥間の混交の実態を把握することに繋がる。近年、上記の『日本彫刻史基礎資料集成』など鎌倉後期の基準作に関する資料が充実してきていること、また、筆者の過去の研究で「僧事」による仏師の僧綱補任も資料としての有効性を指摘できることから、本研究では蓮華王院像のほか、鎌倉後期に僧綱位を得た仏師に関する資料も扱い、当時の僧綱仏師の造仏技量や補任制度を把握し、筆者の過去の僧綱補任に関する考察と比較し、鎌倉時代全体としての仏師の社会― 63 ―
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