鹿島美術研究 年報第34号
98/113

 木米の画業再考 ―交友関係を中心に―研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程  長 岡 枝 里本研究では、青木木米(1767-1833)の画業を再考することを主眼として、その制作背景を探るべく、まずは木米の交友関係を明らかにすることを目的とする。木米は、当時絶頂期を迎えていた「文人文化」において、頼山陽、田能村竹田と並ぶ中心メンバーであり、他の文人たちとの間には、制作などの面で相互の影響関係が少なからず存在している。しかしながら、木米をはじめ上方で活躍した文人たちについて、多くの資料が未整理の状態であり、豊穣であった上方の文人文化の解明を困難にしている。こうした現状において、木米の活動を明らかにすることは、この時期の文人社会や、当時活躍していた他の文人墨客たちについての研究にも大きく寄与すると考えられる。以下、為書に記された人物の特定から考えられる交友関係、および関係資料から読み取れる交友関係の二点に分けて構想を述べる。1) 木米の作品には為書を有するものが多いが、為書に記された人物が特定できていないものもあり、制作背景を考える上で重要な課題となっている。また、木米は自身による日記等の資料を遺していないため、自筆で記された箱書や賛文は貴重な文字資料である。本研究では、木米が多彩な人物と広く親しい関係を築いていた可能性を踏まえて、まずは為書に記された人物の特定を試みる。更に、特定された人物から広がる交友圏についても検討を加えていく。2) 木米自身が遺した作品や書簡類といった資料と合わせて、木米に関する記述がある資料や関係する人物の記録から交友関係を考える。本研究で注目するのは大坂の豪商殿村家の存在である。脇本十九郎『平安名陶伝』によれば、「米平」すなわち米屋平右衛門なる人物は木米に多くの古名器の鑑賞を斡旋した恩人であり、娘お来は彼の妾であったという。木米の恩人である「米平」についての詳細は現在のところ不明であるが、後継である殿村茂済については多くの資料が遺されている。『平安名陶伝』には殿村家に伝来した木米の書簡が十六通掲載されおり、これらはいずれも茂済宛である。書簡からは、木米の殿村家への厚い信頼とともに茂済との文化的な交流が垣間見える。煎茶についての話題のほか、作陶に関する内容も多く記されており、殿村家が木米の活動に大きく影響していた可能性は高い。― 78 ―

元のページ  ../index.html#98

このブックを見る