鹿島美術研究 年報第34号
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 長沢蘆雪の障壁画制作 ―草堂寺を中心に―掲載されたものは最晩年の書簡に限られているが、木米の煎茶に対するこだわりや、陶磁器制作に対する状況、殿村家以外の人々との交流も読み取ることの出来る貴重な資料である。本研究では、これらの資料を精読し、内容の詳細を明らかにする。また、文雅の人として知られた茂済については『浪華煎茶大人集』(大阪府立中之島図書館蔵)や天保八年版『続浪華郷友録』などに掲載され、資料も多く遺されている。また、殿村家に所蔵されていた国学関係の蔵書の目録である『殿村氏蔵書目録』(東京大学附属図書館蔵)や『殿村家聚古録目録』(宮内公文書館蔵)といった目録類も数点現存しており、木米の交友関係や制作背景を考える上で重要な資料となりうると考え、関連する資料として積極的に調査を行う。京都洛東の地で活躍していた木米であるが、改めてその交友関係を鑑みると、大坂の商人や文人たちとの関係を多く見出す事が出来る点は大変興味深い。木米の交友関係の究明を初歩として、その交友圏から、当時の上方の経済活動や煎茶の流行といった状況を鑑み、木米の制作背景の考察を試みる。研 究 者:和歌山県立博物館 学芸員  袴 田   舞長沢蘆雪筆草堂寺障壁画群(和歌山県白浜町、重要文化財)の制作背景について、画題および描法の選択にあたって、禅僧や地域社会との接点たる場が蘆雪の制作に与えた影響を明らかにする。蘆雪が紀南(和歌山県南部)の臨済宗東福寺派の三か寺(草堂寺・無量寺・成就寺)に描いた障壁画は、伝記に不明な部分が多い蘆雪にあって天明6~7年(1786~87)の制作と判明する基準作である。蘆雪が自らの作品に年紀を入れることが少ないなか、制作年の判明する草堂寺障壁画は蘆雪の画風展開を考えるうえで重要である。先行研究での指摘(和高伸二『南紀寺院の長澤蘆雪画』1974など)と筆者のこれまでの研究によると、草堂寺の画題選択の背景には禅の要素を想定することができる。すなわち、紀南の三か寺(草堂寺・無量寺・成就寺)の障壁画制作において、無量寺と成就寺では、唐子や群狗など一見吉祥的な画題が多いのに対し、草堂寺では、禅宗第五祖弘忍をテーマにした「五祖栽松焚経図」を仏間に選択し、しかも近世禅林で流行した指頭画で描くなど、画題・画法に禅寺にふさわしい要素を強く取り入れようと― 79 ―

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