鹿島美術研究 年報第35号
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鷹狩図屏風に見受けられる図様を分析することで、鷹狩図における豊臣秀吉「大鷹野」の影響について追究する。近年、《豊国祭礼図屏風》や《吉野花見図屏風》などを中心とした近世初期、特に慶長期における豊臣秀吉のイメージ研究が活況を呈している。絵画作例から豊臣秀吉の事蹟や制作当時の秀吉イメージを読み解こうとする試みである。秀吉の事蹟をめぐっては、「吉野の花見」や「北野大茶会」などが著名であるが、本研究で対象とする「大鷹野」もその一つとして知られている。前述の狩野永納筆《秀吉鷹狩絵巻》は、勧修寺家の発注の可能性が高い絵巻の下絵で、天正19年の秀吉「大鷹野」の様相を物語る重要な絵画資料である。それは、「大鷹野」を記録した文献史料との照合によって明らかであり、本研究は、そこで得られた分析結果を基に、近世期における鷹狩図屏風と比較することによって、それらと豊臣秀吉との関係性を解釈することが可能となる。例えば伝雲谷等顔筆《花見鷹狩図屏風》(MOA美術館)は、先行研究によって「花見図」は「吉野の花見」の画題の可能性が指摘され、「鷹狩図」には豊臣家の家紋である「五三桐」が認められるなど、豊臣家との関係を窺わせるのである。加えて、豊臣政権の武門長久を表す絵画として「鷹図」が広まったとする四宮美帆子氏の指摘は、「鷹」というモチーフに対して秀吉「大鷹野」の影響があった可能性を傍証すると言えよう。近世初期の鷹狩図屏風としては、複数知られているが、これまで秀吉との関係が議論されることはなかった。鷹狩図の研究としては、今橋理子氏による大著(『江戸の花鳥画―博物学をめぐる文化とその表象』スカイドア、1995年)があり、《鷹狩図屏風》(大阪歴史博物館)の画題解釈として源氏絵の可能性が指摘されている。その後、個々の作例については、新出作例の存在が明らかになりつつも展覧会図録などで報告されるのみで、作例の比較研究が急がれる。そこで本研究は、上記の新出作例も含めて鷹狩図屏風の総合調査をおこない、そのモチーフと「大鷹野」の記録を分析することで、秀吉イメージとの関連性について追究する。その結果、新たな鷹狩図の解釈を可能にし、加えて近年の文学史や日本史の分野で隆盛している近世期における「戦国時代」のイメージ研究にも、美術史研究の立場からアプローチできることが予測されるだろう。―85―

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