高橋由一旧蔵《負翼童子図》についてれている。その一方で、図像についての研究には多くの課題が残されている。図様全体の特徴について論じた研究は、MET本については梅津次郎「「秋夜長物語」解説」(『國華』687、1949)、宮次男「秋夜長物語絵巻解説」(奥平英雄『御伽草子絵巻』角川書店、1982)、永青文庫本については大倉隆二「永青文庫蔵秋夜長物語絵巻」(『美術史』116、1984)の研究があるのみである。しかしながら、「秋夜長物語絵巻」は、上述してきたようにMET本および永青文庫本の二本が伝わり、また、室町時代の皇族後崇光院貞成親王の日記『看聞日記』にもその存在が記されるなど、幅広く享受されていたことが知られ、その図像的特徴を詳細に考察することによって、絵巻物研究に重要な貢献をなすことは十分に予想できる。同時にこの検証は、稚児物語あるいは稚児という存在そのものに対する人々の関心や価値観の推移を検討することにも繋がろう。稚児の研究は、近年文学研究や歴史研究においても関心の深まりが見られ、優れた業績が生まれている。以上の観点から、本研究の成果は、美術史に留まらず、様々な研究分野に寄与できるものと考える。研究者:神奈川県立近代美術館主任学芸員今回、調査研究の対象としている《負翼童子図》(作者不詳)を高橋由一に進呈した駐日イタリア公使フェ伯爵は、日伊の蚕種貿易の推進を主な任務として来日し、1873年の岩倉使節団渡欧にあたっては案内人として一行に同行するほか、工部美術学校の創設や長沼守敬のイタリア留学の援助など、日伊文化交流に多大な貢献を果たしたばかりでなく、日本美術のコレクターとしても知られている。『高橋由一履歴』の記述からは、1876(明治9)年に来日したフォンタネージに由一を紹介したのがフェ伯爵だったことも確認される。『高橋由一履歴』に「画家の参考ニモナラン」とあるように、明治初期の洋画の黎明期において、西洋絵画を直接目にする機会が少なかった洋画を志す若者たちにとって、本作品は少なからず刺激を与えたにちがいない。が、一方で、高橋由一作品の修復を多く手がけ、その技法に精通している歌田眞介氏からは由一が「本図から技法的な影響を受けていないのが不思議である」という指摘もある。明治の段階ですでに100年以上が経過していたと思われる本作品を、由一に学んで―89―長門佐季
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