鹿島美術研究 年報第35号
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大正期のオーブリー・ビアズリー受容に関する基礎的研究―雑誌『女性』の山六郎・山名文夫による挿絵を中心に―いた原田直次郎や安藤仲太郎といった画家たちが当時どのように見ていたかは、これからの調査によって明らかにしていきたい点のひとつである。また、日伊文化交流史の文脈とともに修復史という観点からみても、本研究は大変貴重な意義をもつものと思われる。今回の調査では、保存科学と美術史および文献調査の両面からアプローチすることによって、この作品が描かれた時代や作者、さらにその後の修復履歴を調査するとともに、日本に伝わった後、どのように活用されたか、初期洋画に与えた影響などを多角的に考察していくことを目的とする。研究者:清泉女子大学大学院人文科学研究科博士課程日本におけるビアズリー受容の全体像を解明するうえで、ひとつの大きな転換点となったものが雑誌『女性』の挿絵であると考えられる。大正期はじめの受容とは異なり、その装飾性に着目しているという点では、現代日本におけるビアズリー観の特徴に近い。『白樺』によって紹介された直後から、大正期の前半にかけての受容は、自己表現という大きな課題を目前にした若き芸術家たちの、新たな表現方法のひとつとなるものであった。それに対し、とくに大正11年の『女性』以降、大正デモクラシーの高まりとともに、装飾性に注目が集まり「ビアズレイ派」の挿絵画家たちが登場し、雑誌の挿絵のみならず化粧品のパッケージや広告などの商業デザインにおける受容が主流となっていく。まさにビアズリーが携わっていた分野での事象であり、そのデザインなどを参考にすることは自然なことであったと考えられる。このたびの調査研究において、大正11年以降の受容を明らかにすることで、この時代のビアズリー受容の主な部分を解明できたこととなる。明治末期から現代まで、すべての時代での受容を把握するには、今後さらに研究を進めていく必要があるが、このたびの調査研究はそのための基礎となる。ビアズリー受容研究は、まず明治末期から大正期全体にかけての受容の実態とその特徴を明らかにし、そのうえで昭和、そして現代における現象の検証にまで視野を拡大して構想されるべきであろう。ビアズリーからの影響を明言しているクリエイター―90―佐伯百々子

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