鹿島美術研究 年報第35号
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西ウイグル王国初期回字型仏教寺院の研究―高昌故城α寺院址を中心に―は現在も数多く存在し、彼の作品が日本において受容され続けていることは疑いようのない事実である。日本の商業デザイン史や、ブックデザインの歴史においてもビアズリーは重要な役割を果たしているため、ビアズリー研究は今後の日本デザイン史のなかで大きな位置を占める。これまで美術史の領域で研究されることの少なかったデザインの分野にまで視野を広げることにより、ビアズリー受容の多様性を見出すことが可能となる。また、現代日本のイラストレーションや漫画等のルーツを探るうえでも、ビアズリー研究は重要な意義をもつと考える。研究者:東京藝術大学特任研究員トルファン地域における西ウイグル王国回字型寺院の存在は、19世紀末には既に報告されていたが、本格的な調査研究は1902年、ドイツのグリュンヴェーデル率いる第一次トルファン探検に始まる。グリュンヴェーデルはこの報告書において、高昌故城α寺院址の概要、出土品について詳述しており、α寺院址の復元的考察を行う上で最も重要な資料となっている。しかし、出土品のカタログ化がなされておらず、その後出土品の一部が戦災で失われ、現在の収蔵先であるベルリン・アジア美術館の台帳においても出土地不明の扱いになっているものが少なくない。一方、カラシャール地域(シクシン遺跡)の回字型寺院の調査は、オリデンブルグ率いるロシア隊が行っているが、その成果は長らく発表されず、1990年代になって後継者が残された資料を整理し、その一部がようやく刊行された。本研究では、ドイツ隊とロシア隊による未完の調査研究を検証しつつ遺跡の再構成を行い、さらに本来密接な関係にある両地域の回字型寺院を総合的・俯瞰的に考察することが最も重要と考える。もっとも、単年度の調査研究という時間的制約から、回字型寺院の基準作例であるトルファン高昌故城α寺院址の考察に主眼をおく。α寺院址関連資料の集成は、グリュンヴェーデル以来、本研究がはじめてで、今後の研究の基礎となることが期待される。また上述の如く、西ウイグル王国の回字型寺院の成立ついて論じることは、西ウイグル王国仏教の成立について論じることに他ならない。西ウイグル王国仏教の成立期(マニ教からの改宗期)の様相については、中国中央との交通がまばらな時期であったため中国側の史料が少なく、不明な点が多かったが、1990年代以降、ウイグル語・―91―森美智代

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