本の他に知られていない。南蛮屏風に描かれる南蛮船はカラック型船とガレオン型船を基本にしている。神戸市立博物館などに所蔵される狩野内膳の落款をともなう複数の南蛮屏風に描かれている南蛮船は、一部に違いがあるもののガレオン型船を極めて忠実に写しているが、その他の南蛮屏風に登場する南蛮船は不正確なものも多い。一方、朱印船は竹、もしくは葦と木の皮で編んだ四角い網代帆が装着されていることが特徴であり、フィラデルフィア本の朱印船は「日本前型」(シャム船とガレオン型船の折衷型)と呼ばれる船体であり、そこに四角い網代帆が張られている。京都の清水寺所蔵の寛永9年(1632)の年紀のある「末吉船図絵馬」に描かれた朱印船の船体はやはり「日本前型」であるが、同じく清水寺に所蔵される寛永11年(1634)の年紀のある「角倉船図絵馬」は唐草文様が施された白い船体という唐船の特徴を示しており、それに網代帆を張ったものである。さらに長崎の清水寺に奉納された「末次船図絵馬」と「荒木船図絵馬」(いずれも年紀不明)の船体は京都・清水寺の絵馬やフィラデルフィア本の朱印船の船体とは全く異なり、南蛮船に近く、それはクリーブランド美術館が所蔵する「南蛮屏風」のそれに酷似している。同時にこの2例は船上の人物描写が最小限に抑えられており、遊楽図的な要素がほとんどなく船舶図の傾向が強い。南蛮屛風や朱印船図絵馬などの船体の描かれ方には、現実に即したものから、単に先行する絵画を写したもの、あるいはそれを写しそこねたものまでさまざまなあり方が予想される。また、メトロポリタン美術館には「異国人交易図屏風」が収蔵されているが、本図は船が港に停泊し、荷下ろしが終わり異国からの珍奇な品々が並べられ、それらに見入っている人々や一休みしている船員の姿が描かれている。帆は畳まれた状態で看板に置かれているが、この帆は網代帆のように見受けられ、朱印船が描かれている可能性が高い。禁教令の発布以降はキリスト教に関するモチーフを排除し、港町での日本人と異国人との交易・交流に特化した南蛮人交易図が制作されるようになったが、南蛮人交易図には神戸市立博物館が所蔵する「南蛮人交易図屏風」をはじめ「探幽筆」と記されている複数の粉本が存在し、狩野探幽が南蛮交易図を制作していたと考えられている。しかし、メトロポリタン美術館本「異国人交易図屏風」は神戸市立博物館本「南蛮人交易図屏風」とはまた図像が異なり、南蛮船と朱印船のそれぞれが描かれた交易図が展開した可能性がある。フィラデルフィア本の、両隻に海外交易船を配置する構図そのものはやはり南蛮屏―93―
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