鹿島美術研究 年報第35号
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英国の刺繍史における<ゴールドワーク>の宗教性とその展開―12-15世紀「オーパス・アングリカヌム」作品群の金糸技法からの考察―特別とされる像に対する関心がきわめて高かったことがうかがえる点である。特に有名なものとして、皇帝が度々寺院へ出向いて礼拝した、上天竺寺の「霊験観音像」が挙げられる。こうした像は模写されて方々へ伝えられたらしく、例えば1012年に日本人僧の寂照が、中国から藤原道長へ画像を送ったことが、道長本人の日記から知られる。南宋の都、臨安の近郊にはこのような霊験観音像が複数あったとされ、その中には千手観音像も含まれていたという。つまり本研究では、これまでその価値が十分に理解されてこなかった宋代の重要作例の図像的解釈を行うと同時に、像の流布経路や分布範囲についても考えることで、皇帝や士大夫が大々的に関わった宋代の観音信仰がいかに地方へ浸透したかという、歴史学にとって重要な研究テーマを検討する上でも、寄与できる可能性がある。研究者:女子美術大学非常勤講師目的本研究では英国国内で所蔵する作品と、ヨーロッパに点在する英国の中世から近代の「ゴールドワーク」の作品を比較検証し、その時代のデザインや制作技術について、調査し、考察することが目的である。意義・価値・構想筆者は、英国王立刺繍学校において、歴史と技法の両面から英国の中世の刺繍作品の特徴を解明することに着手し、特に、英国の刺繍芸術作品の中でも、最も豪華で重要な「ゴールドワーク」に焦点を当ててきた。すなわち「ゴールドワーク」とは、英国の刺繍の伝統的な技法の一つであるが、その役割・機能から「チャーチ・エンブロ11件の新様千手観音像は、きわめて特異な図像を持つにもかかわらず、中国の広い地域に分布している。注目されるのは、これらの像には、図像の上で共通点が見出せるだけでなく、宋の領土から遠く離れた、当時は異民族の支配下にあった地域で発見された作例までもが、明らかに中国風の様式で画かれている点であり、上天竺寺像のように、都周辺で礼拝されていた有名な像が、広範囲に流布していった可能性も大いに考えられる。―97―山下ちかこ

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