鹿島美術研究 年報第35号
113/142

③ これまで、筆者の調査によれば、英国の刺繍技法は複雑で洗練されたデザインと精密なステッチで特徴づけられ、その技法としては「スプリット・ステッチ(Split Stitch)」、「アンダーサイド・カウチング(Underside Couching)」、「カウチング・ステッチ(Couching Stitch)」、及び「シェイデッド・ゴールド(Shaded Gold)」(またはOr Nué)」などがある。「ゴールドワーク」としては、「アンダーサイド・カウチング」で、「煉瓦ワーク」、「へリングボーン」、「シェブロン」などが背景のパターン・模様などをステッチする時に使用されている。麻生地の土台布では、デザインにより背景全面を埋め尽くすこともあり、ベテランにイダリー(Church Embroidery)」、「エクレシアスティカル・エンブロイダリー(Ecclesiastical Embroidery)」に類別される。筆者はこのカテゴリーに沿い、これまで「ゴールドワーク」の調査を重ねているが、「オーパス・アングリカヌム」はカトリックの宗派や時代により、デザインや技法に違いがある。この重要点を踏まえ、本研究では以下の意義と価値を見出すことができると予測する。① 中世の教会芸術は、聖書の物語の描写などが多くみられ、「キリストの誕生」につながる重要な出来事を視覚化し、文盲の信者たちに教える方法の一つだったが、刺繍というジャンルを超えて、「視る聖書」の性質が反映していることが注目される。たとえば、ゴシック建築の装飾的様式にみられるアーチで囲まれ、教会のステンドグラスや絵画と同じく「フォイル(葉)」や「ロゼッタ(花)」といった植物、また、空想的生き物(ユニコーンやグリフィンなど)が要となるモチーフとなっている。また比較刺繍史で注目される仏教美術の刺繍(『刺繍釈迦如来説法図』「奈良国立博物館」蔵)にも通じる「教義」「教訓」を伝えている。さらにまた教義的イコノロジーを超えた中世刺繍のクリエーターの想像力やユーモアが溢れた表現は、装飾写本の欄外装飾の多彩さに匹敵し、ジャンルを超えた「動物譚(ベスティエール)」や「生命的のメタファー」において影響関係がうかがわれる。② またそうした東洋の「繍仏」に類似の技法がみられるところの「聖人の顔=肌」は、渦巻きを描くように縫うパターンが用いられている。それらはスペインにおけるイスラム美術や、イタリアの東方貿易がもたらした染織品を経由し、東方からヨーロッパへ伝えられたが、西欧の「西の極みに位置するブリタニア」島国英国にこそ、繊細な金糸の表現が開発された過程が観察できる。―98―

元のページ  ../index.html#113

このブックを見る