かれているが、それらは美術史の先行研究においては装飾とみなされ、充分な図像分析はなされなかった。しかし、「対観表」に描かれる福音書記者像には明らかに対話をする表現が認められ、多様な表現の工夫を伺うことができる。すでに筆者は『960年聖書』の「対観表」の装飾、とくにその福音書記者の肖像の分析を行い、聖書のテキストと部分的に関連しうる解釈を試みている。『920年聖書』の「対観表」の福音書記者像もまた、向かい合って手を掲げ、互いに会話をしているかのように描かれているため、重要な先行作例として改めて着目される。加えて、同聖書には「対観表」に続く各福音書に福音書記者の肖像とそのシンボルとが描かれ、一部にキリスト伝の挿絵(f.202v)も見られる。これらと「対観表」に描かれた福音書記者像とを合わせて考察を行うことで、新たな特徴が明らかになることが期待される。さらに筆者は「対観表」に記載された番号の配置も調査したいと考えている。先行研究において、この二写本の「対観表」は中世初期においても、比較的完全な形式を持つ作例としても指摘されている。同表に記載された番号は、他の聖書写本に比べて漏れや間違いが少なく、注意深く作成されたことが推察される。「対観表」の番号の配置も、聖書本文と同様に、基本的には手本を写すため、配置の特徴を比較することで、複雑な聖書テキストの伝播経路が新たに推定されうるのである。筆者は、すでに『960年聖書』の「対観表」の番号配置にはウルガタ聖書のテキスト系統とは異なる特徴が見られる点を指摘した。今回の研究では『920年聖書』を実見したうえで、すべての「対観表」の番号を書写して調査したいと考えている。それによってイベリア半島の聖書テキストの伝播経路を新たな視点で再考することが可能であると考えている。以上、述べたように、当研究の意義は、第一にイベリア半島初期中世を代表する二聖書写本挿絵の特徴を明らかにすることである。同半島のキリスト教聖書関連写本は、10世紀半ば頃に大きな変革期をむかえ、多くの写本挿絵が残されている。それらの先駆的な作例である『920年聖書』と、改革期のただなかで制作されたと考えうる『960年聖書』の二写本の解明が進むことは、当時の挿絵全体の研究にも大きな進展となることが期待される。第二の意義は、「対観表」番号の検討により、聖書の伝播経路の新たな可能性を考察することである。対観表番号と挿絵の研究は美術史においては類例がない試みである。聖書本文研究においてもラテン語による「対観表」研究の層は薄い。今回10世紀の作例を精査することで「対観表」研究の発展に寄与すること―104―
元のページ ../index.html#119