西園雅集図の図像展開に関する研究―高久靄厓作品とその類例を中心に―京都府画学校の西宗(西洋画科)で学んだ後、各地の図画教員として活躍する者もいた。2015年に新居浜市美術館で開催された「新居浜-日本〈工都〉の美術史と地方創生」では、宗立のもとで学んだ後、愛媛で図画教員をしていた高瀬半哉を取り上げており、宗立を起点にして各地へと広がっていく一つの例を示している。このように、宗立の画風や足跡を研究することで、幕末から明治へと大きな変化を伴って移行していく時代と、明治から徐々に発展していく油彩画やその教育の流れを紐解くことに繋がっていくため、京都の洋画壇、美術界の様相だけでなく、日本全体の美術界の流れを明らかにすることになるだろう。研究者:名古屋大学大学院人文学研究科博士課程後期課程本研究が含まれる研究の構想は、江戸時代中~後期に文人雅集として理想視された画題である「西園雅集」について、国内作例における図像の展開過程を整理して提示するものである。高久靄厓本とその近似作品群を対象とする本研究は、その作業の一環であり、今後の考察の基礎となる。西園雅集に関する従来の研究は、福本雅一氏の研究(「西園雅集図をめぐって(上・下)」『学叢』12・13号、1990・1991年)および、板倉聖哲氏の研究(「馬遠「西園雅集図巻」(ネルソン・アトキンス美術館)の史的位置虚構としての「西園雅集」とその絵画化をめぐって」『美術史論叢』16号、1999年)をはじめ、文献上の西園雅集にまつわる記述を集成し、中国における画題の発生過程や受容の実態を解明するものが主流であった。その一方、国内の作例に関しては長らく単独の研究対象として扱われず、作品紹介の段階に留まっている。また、絵画史的観点から本画題が言及される場合のほとんどは、蘭亭曲水図像の展開を論じる際、蘭亭曲水図が摂取した文人雅集図像の典拠として触れられる程度に過ぎない。近年、山盛弥生氏の論考「野口小蘋「西園雅集図」について」(『実践女子学園香雪記念資料館館報』第12号、2015年)にて、近代以前に描かれた国内外の作品一覧が示され、江戸時代の西園雅集図を概観できるようになったが、依然として図像展開の様相は明らかでない。筆者はこうした課題を解決すべく、高久靄厓による西園雅集図と、その近似作品群―109―藤原幹大
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