鹿島美術研究 年報第35号
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査を経て内定し、2017年3月17日開催の理事会において決定されました。まず、39名1人1人について選考委員の意見交換を行い、2次、3次の絞り込みののち、6名が最終選考に残りました。そこで慎重に審議を重ねた結果、日本・東洋美術部門から和歌山県教育庁生涯学習局文化遺産課技師の三本周作氏、西洋美術部門からポーラ美術館学芸員の東海林洋氏が財団賞の受賞者にそれぞれ選ばれました。また、優秀者には各部門から、東京大学大学院総合文化研究科助教(現・東京大学大学院総合文化研究科准教授)永井久美子氏及び神戸大学大学院人文学研究科博士後期課程の川上恵理氏が選ばれました。財団賞の選考理由については、有賀委員と私が各部門の選考理由を執筆しましたので、ここで読み上げます。《日本・東洋美術部門》財団賞三本周作 愛知・瀧山寺伝来の鎌倉時代初期慶派作例2件に関する調優秀者永井久美子 紫式部の近代表象―古典文学の受容と作者像の流布に関す本論文は、愛知・瀧山寺に伝わる聖観音、梵天、帝釈天三尊像の造像理念と観音堂安置の十一面観音像の金銅製荘厳具の細部形式について考察したものである。特に三尊像は、鎌倉幕府を開いた源頼朝(1147-99)の三回忌に当たる正治3年(1201)に著名な仏師運慶、湛慶父子の作と伝えるものである。その三尊像の構成は平安期以来、毎月18日に天皇の私的な仏事として修された宮中仁寿殿観音供(二間観音供)本尊と共通する特殊なものである。しかも聖観音の光背に飛鳥期の形式を取り入れた特殊な仕様が認められ、また脇侍の梵天・帝釈天の像容は東寺講堂の同像を立像に翻案したものである。三本氏は、この特徴的な造形が認められる三尊像を「鎌倉幕府と王権」の観点から試案を示す。すなわち、三尊像造立の背景については、仏法再生を象徴する東大寺再興事業が建久年間に後白河院の主導で進められたが、建久3年(1192)に院崩御後には鎌倉幕府の支援が本格化し、幕府の存在感を一層示すことになり、王法、仏法相依の関査研究る一考察―16―

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