鹿島美術研究 年報第35号
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1.在日朝鮮人美術家・真鍋英雄(金鐘:1914-1986)に関する研究研究発表者の発表要旨―戦後日本に残った朝鮮人留学生の一例として―東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程金1.真鍋に関する現存資料、日韓にいる遺族へのインタビューを基に、彼の生涯を詳らかにする。2.彼の作品を、当時の日本と朝鮮の画壇の流れの中で探り、その位置づけをする。3.彼の生涯や作品にみるアイデンティティーの問題について論じ、最後に結論を述べる。真鍋の生涯について明らかになったのは、主に次のことである。彼は1929年、14才で単身渡日し、1934年に日本美術学校西洋画科に入学。卒業後、福沢一郎絵画研究所に通い、1940年に第1回美術文化協会展で美術文化賞を受賞し、頭角を表した。戦後には日本人女性と結婚し、横田の米軍基地で新聞編集の仕事をしながら、数十点の作品を残した。彼の作品は、「無意識の開放」といった思想的なものではなく、ただ単にフランスの新しい絵画形式を借用したに過ぎないようにも見える。それは当時の日本のシュルレアリスム絵画の多くと同様であろう。とはいえ、その作品は、韓国近現代美術史の文脈に置くと、異なって現れる。シュルレアリスム絵画は、戦前の朝鮮では受容されず、1940年代初めに東京に滞留していた少数の朝鮮人留学生によって試みられた。だが、彼らは戦後の北朝鮮で社会主義リアリズムに転向した。そのため真鍋は、結果的美術家の真鍋英雄は、戦前に朝鮮半島で生まれ、日本で美術を学び、戦後は日本に残った。朝鮮人の中では珍しくシュルレアリスム傾向の絵画を描いたことで韓国近現代美術史では貴重な存在であるものの、これまで殆ど知られることがなかった。そこで本研究は、彼の資料を発掘し、その生涯と芸術を詳らかにした。これは、韓国近現代美術史の欠落を埋めるだけではなく、第一世代の在日朝鮮人美術家がどのような課題に向き合い、どのように自己のアイデンティティーを表したのかを、ひとつの事例研究をとおして浮かび上がらせるものである。発表の構成は、次のとおりである。―20―智英

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