鹿島美術研究 年報第35号
36/142

3.紫式部の近代表象―古典文学の受容と作者像の流布に関する一考察―東京大学大学院総合文化研究科准教授永井久美子が関係しているだろう。油彩画はスプランゲルが宮廷画家として仕えた神聖ローマ皇帝ルドルフ2世のクンストカマーに保管され、皇帝やその客人が鑑賞者となったため、一見して分かりにくい複雑な主題が好まれたと推察される。その一方で、版画はより幅広い層に受容されたと考えられる。それゆえに明瞭な描写が必要となった可能性が高い。さらに、イタリアからの影響を受けて、ルドルフ2世治世下のプラハで画家の地位の変化が起こっていたことも版画の描写に関係していると考える。1595年にルドルフ2世はプラハの画家とその他の職人から成るギルドに対して勅書を発行しており、絵画のみをその他の職人の手仕事とは区別して扱うことを認めている。スプランゲルは宮廷画家でありながら同ギルドにも所属しており、勅書中で言及されるギルドの紋章の変更を手掛けている。その上、勅書発行に関与した可能性も認められるだろう。また、彼は絵画の地位の上昇に関連する主題の作品を頻繁に描いており、この動向に強い関心を寄せていたことがうかがえる。以上を踏まえた上で、本発表では版画の各人物像を特定し、後景に絵画の自由学芸化に結び付く主題が描かれていることを示す。さらに、版画ではカプリコルヌスといったルドルフ2世を具体的に示唆するモティーフが削除されていることから、本版画はルドルフ2世を称揚する役割の強い油彩画の単なる複製というよりも、版画のより幅広い受容者層に向けて当時の画家の主張を示すものだと考える。本研究は、近代における紫式部像の多様性と変遷を追ったものである。紫式部の絵姿は、琵琶湖に映える満月とともに多く描かれてきた。これは、式部が石山寺に参籠した折に、流離の貴公子が十五夜に都を想起する情景の着想を得て、須磨巻から『源氏物語』の執筆を始めたとする伝説に基づくものである。起筆伝説は、鎌倉時代以降、長く伝えられてきたものである。しかし江戸期の国学において、この伝説は典拠不明瞭のものとして否定され、―22―

元のページ  ../index.html#36

このブックを見る