鹿島美術研究 年報第35号
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5. エヴァ・グエルの肖像とキュビスム:ピカソにおける寓意と物語の回帰ポーラ美術館学芸員東海林意される。そして③に関しては、当時平氏政権下で衰退を余儀なくされた権門寺院が権益回復を期待する為政者に擬え、また後白河法皇周辺で王権に連なる存在としても認識された聖徳太子への意識が介在した可能性が想定される。三尊像が造立された頃、平氏による焼き討ちで焼亡した南都大寺の復興事業が諸権門の強力な支援のもと進行中であった。とりわけ東大寺の復興は、日本仏教の象徴たる大仏の再興を主としたもので、そこには鎌倉幕府の大々的な関与があった。仏法の象徴であり、かつ皇祖神天照大神と同体ともされた大仏の復興への貢献は、当時の幕府の社会的位置づけに少なからぬ影響を及ぼしたと考えられている。頼朝自身に擬した三尊像の特殊な造形の背景として、こうした事実との関連を想定してみたい。確かに彼らが1909年頃から本格的に展開した「分析的キュビスム」と呼ばれる複雑な切子面によって構成された作品には、モデルとなった人物の個性はおろか、卓上を描いた静物画さえも何が描かれているのかを把握することが難しいものが少なくない。しかし、1912年に、画面に布や紙という素材を貼りつける技法「コラージュ」の導入とともにはじまった「総合的キュビスム」の段階において、作品は次第に現実との接点を求め、ピカソの関心は記号のように配された諸要素が指し示す主題の意味内容へと向けられている。特に1911年末から関係を持ち始めた恋人エヴァ・グエル(本名マルセル・アンベール)を描いた肖像画は、比較的作例が少ないものの、《葡萄の帽子の女》(1913年、ポーラ美術館蔵)のように、単なる造形上の探究に留まらない女性像の愛らしい表現など、彼女に注ぐ深い愛情を垣間見ることができる。さらに、パブロ・ピカソ(1881-1973)がキュビスムの探究のなかで制作した作品において、描かれた人物や静物というモティーフに込められた意味については、同時代の主要な言説をはじめ先行研究のなかで重視されてこなかった。これは、ピカソがジョルジュ・ブラックとともに創始し、20世紀最大の芸術運動となったキュビスムに対しては、主に造形の革新性に目が向けられてきたことによる。―25―洋

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