鹿島美術研究 年報第35号
40/142

彼女が病によってこの世を去る1915年末から翌年はじめにかけて制作された《肘かけ椅子のベルベット帽の女と鳩》(1915-1916年、宮崎県立美術館蔵)において、ピカソは総合的キュビスムの実験的な手法を用いながら、彼女への哀悼を表している。分析的キュビスムの作品にはみられなかった、情緒的ともいえるこうした傾向は、死に至る恋人を扱った作品のみならず、総合的キュビスムにおける他のピカソの絵画にも見出すことができる。本研究発表では、ピカソが描いたエヴァの肖像作品を中心に取り上げ、総合的キュビスムにおけるピカソの抒情的な作風への転換を、キュビスムの初期段階である1909年頃に画面から消えていった寓意性と物語性の回帰として考えたい。また、その一因として、エヴァとの関係の他にも、同時期に活動したアルベール・グレーズやジャン・メッツアンジェらによる難解な理論に基づく理知的なキュビスム作品への敵対心を挙げることができる。生涯を通して女性像を描きながらも、ピカソはモデルとなる人物を、自身の自由な創造のための素材のように扱っていると考えられてきた。しかし、エヴァと過ごした数年の間に制作された肖像に、彼女への愛情や病への恐れ、そして彼女を喪った悲しみの表現を見出すことで、キュビスムにおけるピカソ作品の新たな側面を明らかにすることができるだろう。―26―

元のページ  ../index.html#40

このブックを見る