④ヴィルヘルム・ハマスホイと19世紀末コペンハーゲンにおける「室内空間」の表象くことには大きな意義があると考えている。特に、ガレはシーボルトが持ち帰った日本植物の苗を、馴化植物園から取り寄せて自邸の庭で栽培したり、万博において日本植物を購入した事実が既に確認されているため、そこに「殖産興業政策による植物輸出」という要素を絡ませて論じることも十分可能である。近年、ジャポニスム研究においては単に西洋側の芸術論や芸術運動、趣味の問題として扱うだけではなく、殖産興業政策を掲げた日本側の政治的・経済的問題が深く関与していた事実が多く指摘されているが、本研究の価値も、まさにそうした日本の国策が美術分野に果たした影響や役割の大きさ、政治と美術の密接な関係性をより具体的に提示出来ることにある。研究者:山口県立美術館専門学芸員この度の研究は、先行研究で看過されてきた19世紀末コペンハーゲンの室内画をめぐる芸術的環境についての詳細かつ包括的な調査、分析を通じて、ハマスホイの創作活動に新たな光を当てるとともに、世紀末デンマーク美術そのものに従来とは異なる角度からの見方を提示しようとするものである。近年のハマスホイ研究は、画家を同時代の国際的な美術史の枠組みの中で捉えようとするものが主流となっているが、それらには、ハマスホイもまた世紀末コペンハーゲンの芸術的環境から生まれた画家の一人である、という視点が欠落しているように思われる。画家がアカデミーで学び、2008年に国立西洋美術館で開催された「ヴィルヘルム・ハンマースホイ―静かなる詩情」展は、西洋近代美術史において専ら周縁の一つとして位置づけられてきた北欧の小国デンマークにも優れた画家がいたことを、日本に初めて紹介した。19世紀末から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパで高い評価を得ていたヴィルヘルム・ハマスホイ(Vilhelm Hammershøi 1864-1916)は、没後急速に知名度を失い、1940年頃までにはデンマークにおいてもほぼ完全に忘れられた。1980年代になってアメリカで開催された展覧会を契機に再び注目を集め始めたハマスホイの芸術は、今日、世界的に高い評価を得ている。しかし20世紀の多くの時間を忘却の闇の中で過ごした画家の研究は、デンマークにおいても実質30年程度の蓄積しかなく、その静謐な室内画の成立過程は、現在もなお詳らかにされてはいない。―34―萬屋健司
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