⑤朝鮮王朝後期における日本の金屏風に対する認識の変化についてデビューを果たした1880年代から、その早すぎる死を迎える1910年代のコペンハーゲンにおける、芸術的実践としての室内画の成立とその契機、制作および受容の推移と衰退の実態を解明し、ハマスホイの周辺にいた、今日では忘れられたコペンハーゲンの室内画家たちの作品とその活動を検証することは、ハマスホイの創作活動の核心に迫る上で決定的に重要である。ハマスホイが静謐な室内画を生みだし得た世紀末コペンハーゲンの芸術的環境を縦糸に、忘却の彼方に埋もれた画家の発掘、そして室内画をめぐる彼らとハマスホイの芸術的展開と相互関係の解明を横糸に編み上げる本研究は、画家の創作活動の核心に迫るものであり、その成果はハマスホイ研究のみならず19世紀末デンマーク美術、ひいては西洋近代美術史そのものに新たな知見をもたらすものとなるだろう。本年、日本との国交樹立150周年を迎えるデンマークは、その先進的な福祉政策や世界中で親しまれてきた文学、温かみのある洗練されたデザイン等、歴史、社会、文化のあらゆる面でますます我が国の注目を集めている。本研究の成果は、美術史学という一学問分野に寄与すると同時に、デンマークという国そのものに対する我が国の理解を深める一助となるものであり、その文化的意義と価値は極めて大きいものと考える。研究者:東京大学大学院人文社会系研究科博士課程本研究は、朝鮮王朝後期(17~19世紀)の朝鮮国内において、日本の金屏風がどのように認識され、実際の造形の中で、どのようなかたちで受容・変容されたのかを窺うことを目的にする。現存する「金鶏図屏風」は伝称作品であり、李裕元(1814~1888)『林下筆記』の記録の中にある作品そのものであるとは確定できない。また、この作品は、朝鮮王朝に贈られた「贈朝屏風」に関する文献記録(1655年以降)にはその題目が見当たらない。そのため、これまで諸氏(武田恒夫・榊原悟・洪善杓氏など)の先行研究においてその存在が言及されたものの、その作品に対するより詳しい分析は行われていない。しかし、現存作品は、李裕元の記録上の屏風の描写とほぼ一致する図柄で描かれており、少なくともこれらが記録上の屏風に近いかたちであることが分かる。伝称作者―35―朴晟希
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