鹿島美術研究 年報第35号
52/142

様式を明らかにすることである。狩野探幽(1602~74)次世代の研究については、松嶋雅人氏が狩野常信(1636~1713)様式を考察した「狩野常信とその画業に関する研究」(『鹿島美術研究』年報別冊13号、1995年)を嚆矢とし、最近では野田麻美氏の「ポスト探幽世代の画家たちについて―狩野安信・常信・探信・益信・探雪≪名画集≫(個人蔵)の史的位置―」(『静岡県立美術館紀要』32号、2017年)など、少しずつ研究が進んできている。探幽以降の江戸狩野派を「没個性」や「探幽様式の形骸化」とする従来の批判に対し、これらの研究では、探幽様式とは異なるそれぞれの様式を明らかにしており、着実に成果を挙げ始めている。しかし、まだ議論は深まっておらず、特に常信次世代の研究が殆どない状態で、次に江戸後期の狩野派絵師が断片的に取り上げられている。つまり、探幽様式の継承と変容という、江戸狩野派研究では避けられない問題を内包する18世紀前期の研究が大きく欠落してしまっているのである。このような状況で語られる江戸後期狩野派の研究・解説の中には、空白期の狩野派の存在を完全に無視している場合さえある。本研究の成果は、18世紀前期の狩野派を明らかにするのみならず、このような18世紀後半の狩野派研究へとつながり、江戸狩野派の全体像を浮かび上がらせてくれることが期待できる。研究の構想は、まず探幽や常信らの様式を再確認する。常信らの作風には探幽との相違点が注目されつつあるが、江戸狩野派の基盤となったのは、あくまでも探幽様式である。彼ら独自の様式がどのように探幽様式の上に形成されていったのか、探幽様式の変遷という視点に立ち戻り再び常信世代を考察する。次に、本題となる常信次世代の狩野派の画業と様式を明らかにしていく。この時代の狩野派絵師は相当数に上るが、本研究では、江戸狩野派の核となった木挽町家を主な考察対象とする。特に、3代周信(1660~1728)・4代古信(1696~1731)は、巻子や画帖、襖絵や屏風、やまと絵から漢画まで、幅広く作品が残っている。墨画の富士図や中国人物画、或いは淡彩の和歌の歌絵など、量産された画題においては、図様、筆法は探幽様式を厳守して描かれる作品が多い。「創造性の欠如」などといった従来の批判が、このような作品に対して行われたように、偏った作品研究では、正確な様式研究は期待できない。この点において、周信と古信は幅広い作品から様式研究を行うことができる、貴重な絵師といえる。また、二人の作品のみならず、絵画以外の資料もあわせて調査し、多角度からの作家研究を行う。そして、周信・古信の絵画的特質を、再考察した探幽・常信らの様式と比較することで、絵師個々の様式に加え、流派様式の変遷も明らかにし―37―

元のページ  ../index.html#52

このブックを見る