⑦中世歌仙絵の諸相―「似絵」風表現と歌仙絵受容者の考察―たい。なお、木挽町家のみでは江戸狩野派の全体像が見えがたい部分も存在する。奥絵師の中橋家・鍛冶橋家・浜町家も重要な家であり、木挽町家研究と合わせ作品発掘を行い、積極的に比較材料として取り上げたい。江戸狩野派様式が時代と共に変容していくのは明らかであるが、実は家ごとによっても画風が異なっている。特に奥絵師と表絵師の差は大きいが、奥絵師の中でも、例えば中橋家の簡略化された筆墨や平面的な彩色法は他の家には殆ど確認できない。複数の家の様式を比較することで、木挽町家の様式を鮮明に浮かび上がらせると同時に、狩野派全体の研究へとつなげたい。また、狩野派絵画史の空白期が解消されることで、従来、探幽様式とのみ比較されていた木挽町家6代典信ら江戸後期の狩野派研究にも、新たな視点を与えることができるはずである。18世紀前期の狩野派研究は、一流派の一時代に焦点をあてた研究であるが、狩野派研究を大きく前進させることができる意義の大きい研究と考える。研究者:東北大学大学院文学研究科博士課程後期課程構想これまでの「歌仙絵」の議論の根底には、現存最古の歌仙絵である「佐竹本三十六歌仙絵」(以下、佐竹本)の制作年代と、研究の蓄積によって形成された歌仙絵の「権威ある型」としての「佐竹本」に対する問題意識があったと考える。また、各歌仙絵の受容に関する指摘は少なく、表現様式と歌仙絵の成立する背景を有機的に繋ぐ文脈に関する論考が不十分であったと言える。これらの問題意識を念頭に、本研究ではまず「佐竹本」や「時代不同歌合絵」(以下、時代不同)など歌仙絵の表現面と図様面における特色を同時代他作例との比較によって検討する手続きを経たうえで、制作年代を推定したい。そののち、歌仙絵成立のコンテキストに関して、図様の検討や和歌史研究の参照を通じて考察していく。また、歌仙絵の「似絵」風の描法については、他作との表現様式の比較だけでなく、隆信・信実の人的ネットワークを和歌史料や政治史料を参照して分析を行いたい。これらの考察を総合して、中世絵画史における歌仙絵の位置を考えることを目的とする。―38―三浦敬任
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