鹿島美術研究 年報第35号
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⑧カンディンスキーの初期作品について―パリ滞在時の象徴主義との接点―けが明瞭になると考える。以上の二点、「似絵」風の表現を中心とする歌仙絵の表現様式考察と歌仙図様の意味を起点とした歌仙絵コンテキストの検討を通じて、中世の歌人達が、史料や伝承を駆使して想像した古代の歌人を、「実人的」あるいは「尊敬されるべき姿」で描いた歌仙絵の一端が明らかになると考える。研究者:宮城県美術館学芸員本研究の目的は、ヴァシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky, 1866-1944)による、いわゆる「彩色ドローイング(Farbige Zeichnungen)」の作品、パリで刊行された版画作品のポートフォリオ『木版画集(Xylographies)』と、その版元である『新傾向(Les tendances nouvelles)』誌を調査することで、カンディンスキーのパリ滞在期における、フランスのサロンや象徴主義との影響関係を考察することにある。意義及び価値ヴァシリー・カンディンスキーは、モスクワに生まれ、モスクワ大学の法学部助手の職に就いたが、その後、画家を志し、1900年にミュンヘンの美術アカデミーに入学した。その翌年には、自身で芸術家協会「ファーランクス(Phalanx)」を結成し、その画塾で教鞭をとった。この団体は、1901年8月から1904年12月までの間に、計12回の展覧会を開催している。その後、周辺諸国を歴訪し、パリのサロン・ドートンヌへの出品(1904-1910)を始め、1905年のサロンには、絵画、版画、工芸デザインの作品を発表した。このなかに含まれるのが、《商人たちの到着(Ankunft der Kaufleute / L’arrivée des marchands)》(1905年、宮城県美術館蔵)や《夕暮(Abend / Vers le soir)》(1904年、宮城県美術館蔵)であり、カンディンスキーが「彩色ドローイング」と称したところの、初期の装飾的なテンペラ画である。当時の評論において、カンディンスキーの作品は、装飾画(peinture décotrative)として次のように賞賛されている。「カンディンスキー氏の芸術は、本質的にドイツ的だ。黒、白あるいは緑のシンプルなコントラストを通して、忘れがたいレリーフで存在と事物を描写し、群衆をひしめかせ、驚くべき統合を実現している」。(J.-C. Holl, Les cahiers d'art et de littérature. 3, Le salon d'automne, 1905.)このように、カンディン赤間和美―40―

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