鹿島美術研究 年報第35号
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⑨ムッジャ・ヴェッキア、サンタ・マリア・アッスンタ聖堂の説教壇研究研究者:フィレンツェ大学博士課程意義と価値キリスト教の聖堂空間は、内陣障壁、段差、柱、説教壇などの構造物によって、空間内のヒエラルキーが厳格に形成されていた場所である。したがって、聖堂内装飾の研究は、このヒエラルキー化された空間を念頭に理解に努める必要がある。典礼において聖書の言葉が唱えられ、信徒に対して司祭が説教を行う演壇が説教壇である。著名な彫刻家の説教壇研究や、特定の一地域の説教壇の発展史研究はあるものの、イタリアにおける説教壇の形式の発展を跡付ける包括的研究はいまだ限定的である。本研究で扱うイタリア北東部ムッジャ・ヴェッキアのサンタ・マリア・アッスンタ聖堂の説教壇は、考古学調査から13世紀半ば頃に設置されたと考えられている。演台に南側を向く書見台が、演台に向かう階段の一部を足場として東側を向く書見台が取り付けられるという、きわめて珍しい形式を持ち、周辺地域に類似する形式の説教壇がないことも手伝い、一種の突然変異と見なされ、説教壇の発展史の中に位置付けることが困難とされてきた。しかし説教壇は常に典礼と密接に関わるものであり、したがってムッジャのような辺境の地において、何の理由もなくこのような二方向を向く説教壇が突如として出現したとは考え難い。本研究の第一の意義は、13世紀イタリア北東部の説教壇の発展史研究を促進させることであり、なおかつその発展史の中に本説教壇を正確に位置付けることである。さらに、本説教壇は内陣障壁と一部連結しているため内陣障壁と共に制作されたものと考えられるが、その設置時期は中央身廊の南壁と北壁の壁画制作と同時期であった可能性が高い。南壁と北壁にはキリスト復活譚と聖母晩年伝が対をなして描かれていたことから、説教壇、内陣障壁、壁画が同一の構想のもとに制作され、互いに有機的な関係を持っていたという仮説を新たに指摘する可能性も期待できるだろう。構想本説教壇には人頭彫刻と葉飾り装飾が施されている。それらを手がかりに様式分析を行うことによって、制作者の活動していた地域や環境を限定する。説教壇の設置は13世紀半ば頃と見なしうるが、その時代はムッジャ含むイタリア北東部はヴェネツィアを美術の発信地としていた。この地域では13世紀の説教壇としてヴェネツィアに2―42―桑原夏子

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