⑩日本の邪鬼と護国信仰点、ゴリツィアのグラードに1点、モデナに1点作例が現存するため、上記の作例と本説教壇の演壇、書見台、装飾、全体の形状の類似点と相違点を明らかにしたうえで、上記の例と13世紀以前のイタリア北東部の説教壇約40点の作例と形状を比較した際に見出される変化を確認する。そのうえで、イタリア全土を対象に東側と側壁側(特に南側)の二方向を向く説教壇をそれぞれ制作年代、地域、形状ごとに区分する。現段階では本説教壇と制作年の近い作例としてローマ周辺の3点の説教壇の存在を把握しているが、これらはその制作時期からローマ教皇庁主導のもと展開された教会改革運動の影響を受けたものと見なしうる。したがってローマ周辺の3点の作例は、二方向を向く説教壇がどのような典礼の決まりごとの中で求められたのかを探るための貴重な比較例であると考えられる。研究者:東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程目的とその意義本研究は、仏教美術に登場する鬼神のうち、四天王像をはじめとする神将像の足元にあらわれる「邪鬼」をとりあげるものである。その目的は、上に立つ神将像との相関関係を念頭に置きながら、中国および朝鮮半島との比較検討を通して、とりわけ、わが国における邪鬼の造形と意味を明らかにすることである。鬼や鬼神は、仏教受容以前より各地域において土着的に存在し、これまでも宗教学や民俗学をはじめ多角的な観点から研究の蓄積がある。邪鬼もまた鬼の類の一つとして取り上げられることはあった。本研究ではこれら研究の成果に導かれつつも、美術史の立場から邪鬼に特化し、東アジア文化圏における基準作例を選定・整理して、それらを考察の基盤に据える。そのうえで日本における大陸からの影響という視座に立ち、神将像に課せられた護国信仰とそれに付随する邪鬼との関係に着目する。考察の対象や目的を絞り、明確にすることによって、従来、鬼の類の一つであるというやや漠然とした位置づけや伝存数の多さから、実態が掴みづらく未だ解明されてない部分も多い「邪鬼」への理解が進むと考える。価値調査対象とする邪鬼は、これまでも作品研究を通して個別的に論じられることはあ―43―山田美季
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