⑪坂東三十三観音信仰に関する仏教美術の基礎的研究―中世下野を中心に―ったが、東アジア文化圏を視野に通史的な観点から言及される機会は少なく、神将像との相関関係に着目した論考もあまりない。本研究では、邪鬼の基準作例を選定・整理し、そこで得た知見をもとに作品研究へと深化させるというプロセスを踏み、神将像に関する先学の蓄積を念頭に考察を進めることにより、邪鬼の実態が明らかになるだけでなく、その存在を美術史における新たな指標の一つとして提示できる可能性があると考える。構想等これまでの成果により、編年資料については中国・朝鮮半島・日本における作例を歴史的に通観し、相互の比較検討が可能な作例は収集できつつある。またそこから、上に立つ神将像の造形や、その信仰を始めとする造像背景との相関関係を通して、邪鬼の実態を捉えるという本研究の骨子となる視座を導き出している。今後はこの立場に立脚して大陸との影響関係を念頭に置きつつ、日本に焦点を定めることでわが国の邪鬼に関する考察を深めていきたい。編年資料では、日本国内の基準作例について重点的に調査・熟覧調査を行い基礎資料の精度を高め、『日本彫刻史基礎資料集成』の書式を参考にデータをまとめる。また、これまで作例収集数に乏しかった地方作例については図版・写真資料も重視し、それらを積極的に集めることで基準作例との比較作例を充実させる。作品研究では、7世紀から14世紀における日本の邪鬼のうち、護国信仰を背景に造像された神将像と関連する作例をとりあげ、包括的な議論を目指す。まずは、未だ論文化に至っていない9世紀から11世紀の作例について論文化する準備がある。また既に考察を進めている。12世紀以降については、古代において護国信仰で選択された図像のその後の展開に関して既に『MUSEUM』668号(平成29年6月)の「願成就院毘沙門天像邪鬼の邪鬼造形史上の意義」の中で言及したが、その時代における護国信仰と邪鬼の表現についても、大仏殿様四天王像を最勝講との関係から考察すべき課題が残されている。研究者:文星芸術大学美術学部准教授本研究は、その形成過程に不明な点が多い、坂東三十三所観音札所の成立とその諸相を解明する前段階として、中世北関東で展開した観音信仰、特に下野周辺に関わる―44―大澤慶子
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