鹿島美術研究 年報第35号
60/142

⑫アメリカ美術とプラグマティズム―アクション・ペインティングをめぐる文脈の再検討―仏教美術に着目するものである。坂東三十三所観音札所の成立は、八溝山系福島県側に位置する、八槻都々古別神社・十一面観音菩薩立像の天福2年(1234)銘により、これ以前に遡ることが判明する。同銘によるとこの像は、沙門成弁が「八溝山観音堂」(のちの21番札所日輪寺)に参籠の際製作したという。これと作風が共通する像に、同山系南麓の栃木県那須烏山市・松倉山観音堂像の菩薩立像五軀がある。同堂の立地が、観音札所20番栃木・西明寺と21番茨城・日輪寺の途上という点も、三十三所観音札所の成立や形成を解明する上で重要な手がかりになると思われる。同市には、古くは8世紀の観音菩薩立像(県指定)、坂上田村麻呂創建の伝承をもち、鉈彫りの千手観音菩薩立像(県指定)を本尊とする太平寺をはじめ、平安時代後期から鎌倉時代にかけての観音菩薩像が多く伝来する。従ってこの地域の観音信仰を中心とする仏教文化の解明は、当該問題を考える上で、極めて意義深いと考えられる。また、下野の坂東三十三所観音札所では、本尊観音菩薩像をはじめとする彫刻作例についても、未だその詳細が不明なところも多い。個々の寺院の彫刻の基礎的調査を行うことは、当地における仏教美術の解明、ひいては観音札所信仰の成立の様相を究明していく上で重要である。以上、本研究の構想は、八溝山周辺域を中心とした下野における坂東三十三所観音札所信仰に関わる諸寺の仏像彫刻の調査・研究により、北関東域における信仰と造像の様相の解明を目ざすものである。やがて南関東域にまで調査・研究の範囲をひろげていくことによって、鎌倉幕府の宗教政策の究明、ひいてはわが国における観音信仰の実相解明につながる意義深いものと考える。研究者:早稲田大学非常勤講師岸本研究は、1940年代から50年代のアメリカ美術の動向をプラグマティズムの文脈で捉える試みの一環である。これまでの美術史研究では見過ごされた、または十分に検討されてこなかった諸問題を提起し、従来とは別の視座からアメリカ近現代美術の性質を明らかにし、その新たな系譜を示すことを目指す。―45―みづき

元のページ  ../index.html#60

このブックを見る