本研究の意義や価値は、第一に1930年代の美術からの連続性が示される点にある。これまでの抽象表現主義の研究では地方主義をはじめとする1930年代の具象的美術からの様式的、思想的断絶が強調される一方、前者の特徴である大画面を用いる点では後者の壁画運動からの継承が指摘され、ある種の矛盾が生じている。だが、壁画をはじめとする公共芸術が数多く制作された連邦美術計画(FAP)がプラグマティズムを思想的支柱のひとつとし、後の抽象表現主義の作家たちの多くもFAPに関わっていたことなどを鑑みれば、1940年代以後に活躍する芸術家や批評家たちが、時代的、社会的な変化に応じてプラグマティズムの解釈と実践を新たにしてきた可能性は十分考えられる。ローゼンバーグのアクション・ペインティング論にプラグマティズムの継承を見出すことは、アメリカの芸術においてプラグマティズムが根強く浸透し、芸術のモデルが形成、更新される際の参照軸のひとつとして機能し続けてきたことの証左となるだろう。第二に、プラグマティズムの文脈では、グリーンバーグをはじめとするモダニズムの論者が主張する自律的な芸術モデルとは異なる近現代芸術の性質を見出すことができる。その際、アメリカの文学研究者であるリジー・ショーエンバックの『プラグマティック・モダニズム』(2012年)は示唆に富んでいる。彼女は、モダニズム文学研究がこれまで非連続性や断絶(rupture)に重心を置く革命的アヴァンギャルドの思想を強調しすぎていることを指摘し、いくつかのモダニズム作品には、社会や芸術の変革に向け漸進的で調停的なアプローチを好むプラグマティズム的文脈が存在することを明らかにした。同書はプラグマティズムが重視する習慣(habit)および制度(institutions)という概念からの作品解釈を試みている。アクション・ペインティング論および関連する諸作品や諸言説をプラグマティズムに照らして読み直す本研究の試みは、上記のような近年の研究動向と関心を共有するものである。美術ではグリーンバーグのモダニズムの文脈に偏りがちな1940-50年代の研究状況に新たな光を投げかけ、とりわけ彼らの作品制作過程の原理を明らかにする契機となるであろう。最後に、本研究はデューイの美学で提起される作者・作品・観者の三者の相互作用的な関係性に焦点を当てる点でも意義がある。作者の経験と観者の経験を等価のものとみなすデューイの考えは、ローゼンバーグにも共通して見られるものである。両者の連続性を考察することにより、芸術の作用的性質や社会的役割についてどのような認識が共有され、どのような変化があったのかを理解することができるだろう。本研―46―
元のページ ../index.html#61