鹿島美術研究 年報第35号
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⑬ティムール朝絵画における中国美術からの影響究では、ローゼンバーグとポロックを積極的に引き継いだアラン・カプローが、1960年代に発表した一連の「ハプニング」作品も考察の射程に入れる。彼が提唱する「観者の参加」をプラグマティズムの文脈に置くことで、アクション・ペインティングからパフォーマンス・アートへの展開を新たな角度から見直すことを試みたい。研究者:早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程ペルシア美術と中国美術の相互交流は、シルクロードを通じたササン朝(224-651)と唐時代(618-907)の交流が知られるが、イランや中央アジア地域のイスラーム化後(651~)の時期も重要な位置を占めている。しかし、その重要性にも拘らず、イスラーム化後のシルクロードの交流は、美術史研究においてはあまり顧みられていない。本研究は、イスラーム化後の両者の美術交流史のうち、ティムール朝期に特に注目する。この時期、ティムール朝の君主シャー・ルフと明の皇帝永楽帝の積極的な外交政策が知られており、それに伴って文物も盛んに往来したからである。ティムール朝(1370-1507)期に移入された中国絵画の大半は、ペルシア画家による模写と共に『サライ・アルバム』と『ディーツ・アルバム』に貼られ、現在まで伝わっている。『サライ・アルバム』は、ペルシアの書家画家列伝の役割も担っており、そうした列伝に、中国絵画も貼られていることは、ペルシア絵画に中国絵画が手本と言えるような役割を果たしていたと予想される。ティムール朝期における中国絵画からの影響を研究することで、ペルシア・イスラーム文化圏が中国仏教文化圏から造形的な面で大きな影響を受けていたことが明らかになろう。従来の研究では、ペルシア・イスラーム美術における中国美術からの影響は、単に中国風や中央アジア風と指摘されるのみであった。本研究では、ティムール朝側と中国側の絵画資料を詳細に比較し、中国絵画がペルシア絵画に摂取される過程を実証的に検討する。はじめに、ティムール朝における中国絵画コレクションの全体像把握を試みる。「az 4āy ast(とても素晴らしい中国の巨匠のコレクションjomle kārehāy a'lā a'lā ostādān khatから)」という絵画に付された文言から、相当量の中国絵画が収集されていたと予想されるが、コレクション記録は伝わらず、伝存する中国絵画は、『サライ・アルバム』に貼られた数十点のみである。しかし、残された模写作品、両地域の積極的な交流か―47―本間美紀

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