⑭対幅として制作された頂相と俗人肖像画に関する研究ら想像するに、明時代の流行図様はほとんどペルシア画家の目に触れていたと考えられる。そこで、『サライ・アルバム』所収の中国絵画の画題や画風を踏まえた上で、東アジア地域に伝存する中国絵画から、ティムール朝における中国絵画コレクションを想定復元する。ティムール朝における中国絵画の輸入状況を再現した上で、それらがどのようにペルシア絵画に摂取されていくかを探求する。「花鳥図」、「仕女図」、「観音図」は、ペルシア画家による模写の点数の多さから、ペルシア絵画に風景描写や人物描写の新たな方法として、影響を与えたと予想される。それらの画題や技法が、どのような取捨選択を経てティムール朝絵画に影響を与えたのか、段階的に検討する。以上のように、本研究は、ティムール朝における明時代中国絵画からの影響を明らかにすることを目的とする。その際、東アジアにおける中国絵画の流布、東アジアに伝存する中国絵画によって、当時のティムール朝の中国絵画コレクションを補填する。ティムール朝側の中国絵画受容の特徴を吟味することが、アジア地域における明時代中国絵画の相対的な評価につながることになるだろう。研究者:神奈川県立金沢文庫主任学芸員京都・天龍寺塔頭妙智院に所蔵される夢窓疎石像(南北朝時代・14世紀)は現存する夢窓の頂相のうち最も卓越した作風を示す作例として知られる。1990年代半ば以降、日本の肖像画研究の方法は大きく進展し、また多様化している(東京文化財研究所『東アジア美術における〈人のかたち〉』、1994、米倉迪夫『源頼朝像─沈黙の肖像画』絵は語る4平凡社、1995等)。また、黒田日出男氏らをはじめとして歴史学からの肖像画にアプローチする研究にも多くの蓄積がある。ただし、これらは主に、俗人肖像画研究を中心に進められてきた。一方、禅宗祖師像である頂相研究は主に禅宗美術の研究者により主導されてきた。そして、頂相は師から弟子へと与えられる印可の証として禅僧間で授受されるものと説明されることが多かった。しかし、禅僧の語録を概観する限り、在家の居士へ付与された事例も少なくない。本研究では、紫衣や黄衣を着す頂相や、居士像と対幅で制作された頂相に注目し、俗人為政者との関わりから頂相を捉え直したい。それにより、これまで筆者が取り組んできた妙智院本を含―48―梅沢恵
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