⑮お伽草子絵の生成と展開―物語の絵画化とその様式特性をめぐって―谷嶋美和乃めた夢窓周辺の肖像画制作の実態を具体的に解明しようとするものである。夢窓疎石は歴代の天皇をはじめ、足利尊氏、直義ら為政者の帰依を受けたことはよく知られている。足利尊氏は建武三年、直義は貞和五年に夢窓から受衣している。夢窓と直義の対話を記した『夢中問答記』によれば、直義は夢窓からの受衣にあたり、すでに無学祖元の真容(頂相)を拝して弟子の儀を表しているため、重ねて受衣することに問題がないか夢窓疎石に尋ねている。それに対し、夢窓は同じ門派だから問題はないとして授衣している。この事例からは、受衣の儀に際して、頂相が用いられる事、さらに在家の居士に袈裟を授けたことがわかる。従来の研究では、師から弟子に与えられる頂相は基本的には寺院の内部での授受を想定して語られることが多かった。しかし、夢窓疎石の年譜や現存する頂相の賛から居士にも衣や頂相を与えていたことがわかる。本研究は、筆者のこれまでの頂相研究をさらにすすめて、居士像と対幅で制作された頂相や黄衣を着す頂相などに注目し、作品調査を進めることで夢窓周辺の肖像画制作の実態について解明しようとするものである。その上で、あらためて基準作である妙智院本の意義について再考したい。研究者:十文字学園女子大学人間生活学部助手お伽草子は、室町時代から江戸時代初期にかけてつくられた多種多様な内容を持つ短編の物語である。能や狂言などの芸能や、説話や昔話などを元に多くの物語が作られ、武家や町人、庶民にわたる幅広い階層に享受されていった。そしてそれらの多くは、絵巻や絵本に絵画化されたことでさらなる普及、展開をみせる。これまで多くの研究がなされてきたが、本文研究が主であり、絵画についてはその全貌を紹介されることは少なく、本文との関わりについて述べられることも土佐派や狩野派の手がけた主要作品にとどまり、無名の絵師による作品の調査研究はまだ十分とは言いがたい。そこで本研究では、お伽草子の絵本、絵巻類の調査を行い、その物語の絵画がどのように生成され、展開していったのか、国文だけでなく美術史的な分析を通して明らかにしていくことを目的とする。まず、未紹介伝本の調査と紹介を試みる。お伽草子はその物語を把握するために、―49―
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