数多い。特に注目すべきは、松下英麿氏の著作『池大雅』(春秋社、1968年)、佐々木丞平氏と佐々木正子氏の論文と著書『池大雅』(日本美術絵画全集第18巻、集英社、1980年)および吉澤忠氏の論文「池大雅筆遍照光院襖絵について。特にその製作年代を中心にして」(『國華』1007号、朝日新聞社、1977年)、それから、鈴木進氏の著書・論文である。しかし、1960~70年代にかけて、かなり活発に研究が進んできたと思われる大雅の研究は、その後の1990年代に至るまで注目すべき研究があまり提出されず、全体として、大雅研究は徐々に停滞してゆくことになる。そして現在、池大雅の研究を行う美術史家は非常に少なく、出光佐千子氏の論文「大雅による光の描写と黄檗美術:黄檗山萬寿院蔵「書画禅冊葉」の体験」(『出光美術館研究紀要』17、出光美術館、2011年)が目立つだけである。近年、注目されている大雅研究は、大雅の文人画的性格と文人画的位置づけの問題であろう。大雅は文人画の大成者とされた後、主に文人画家として解説されたが、それらの作品解釈においては不明な点が多い。すなわち、大雅の作品には、文人画とは言えない実験的な絵画が多く含まれているからである。この問題をめぐっては、多くの研究者が「文人画的ではない」という解釈を行っているが、では大雅の作風とは一体どのようなものなのか。それについては、飯島氏の著書『大雅、蕪村』(水墨美術大系第12巻、講談社、1973年)や、武田光一著『池大雅』(新潮日本美術文庫、新潮社、1997年)などがある。大雅の作品で、きわめて重要だと思われる作品は、高野山遍照光院に所蔵されている《山亭雅会図襖》であろう。この襖絵は、大雅の代表作であるが、「文人画的ではない」と判断されている。それゆえ、大雅研究の不安定要素および不明確な性格を考慮に入れて、再度、大雅の文人画的性格について考察する必要があろう。高野山遍照光院の襖絵については、徹底した実証的研究が望まれるところである。いずれにせよ、今一度、「文人画とは何か」を問わねばならない。特に大雅の作品の文人画的特質に明確な回答を与える研究こそが、将来の大雅および文人画研究にとって大きな価値があると思われる。筆者はリトアニアからの留学生であるが、故国リトアニアでは、大雅研究はおろか、日本美術史研究自体が、あまり進んでおらず、この領域はリトアニアの「日本学」全体にとって、大きな意義をもつと思われる。大雅研究が、リトアニアで進展するとすれば、それはこのグローバルな世界にとっても非常に価値あるものだと考えられる。本助成金を得て、大雅と文人画研究を進めることは、日本とリトアニアにとって、き―51―
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