鹿島美術研究 年報第35号
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⑰マリアノ・フォルチュニーの異国趣味―日本の意匠を基点として―わめて大きな意義をもつはずである。研究者:三菱一号館美術館学芸員スペインのグラナダ生まれでイタリアのヴェネツィアで活躍したマリアノ・フォルチュニー(1871~1949)は、20世紀初頭、色鮮やかな軽い絹地に繊細な襞を付けた「デルフォス」という名のドレスをデザインしたことで世界的に知られる。1896年に発掘された古代ギリシャの青銅の男性像《デルフォイの御者》が着想源とされる柔らかく軽いこのドレスは、それまで女性に必須とされていた、コルセットで腹部を締め付けて極端に人工的な曲線を形成する着衣法から、人間の自然な身体の丸みを利用して優雅な体躯を演出するとして、上流階級や映画スターなどに絶大な人気を博し、時代を画する服飾作品とされている。フォルチュニーが遺した服飾作品のうち、特に「コート」と呼ばれる上衣には、彼が熱心に収集した、中東から中国・日本などの極東地域にいたるまでの染織品に見られる文様を参照し、それがステンシルの技法によって染め付けられている。この、「ステンシル」の技法、服飾作品の形状、そして服飾作品に染め付けられた文様を根拠として、しばしば、フォルチュニーの作品には日本の影響がみられる、と語られてきた。しかしながら、海外においては、日本の意匠が実証的に検証されたことは殆どなく、漠然とした記述にとどまっている。また日本においては、フォルチュニーは主としてファッション・デザイナーとして認知されてきたことから、服飾史の文脈において、絹地の産地の検証や、フォルチュニーの死と共にその技術が失われてしまった繊細なプリーツの付け方などが主たる研究対象である。こうして、美術史学的な意匠の検証はほぼなされてこなかった。実際には、フォルチュニーは、画家、版画家、舞台装置作家、写真家、ファッション・デザイナー、染織関係の科学者、収集家等々、驚くほどの多方面で活躍しており、ファッション・デザイナーの側面のみでは語りつくすことはできない。フォルチュニーが生涯を送り、制作をしてきたヴェネツィアには、現在もその旧居が美術館として保存されており、美術館には彼が収集した各地の染織品や、その文様を参照したエスキスが大量に残されている。中でも、日本の型紙は14点、また日本の―52―阿佐美淑子

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