⑱在朝日本人画家に関する研究調査きものも遺されており、フォルチュニーの日本への強い興味を物語る。また、服飾作品を制作するにあたり、フォルチュニーは文様の形体、その組み合わせをさまざまに実験しており、そうした資料の中には日本の意匠を見出すことができる。また、フォルチュニーによるデザインの権利を継承し、現在もテキスタイルとして製造、販売を行っているフォルチュニー社にも、フォルチュニー本人が遺した資料が保管されている。本研究では、これまでほぼ検証されてこなかった、日本の意匠について、フォルチュニー本人が収集した染織品や、技法や色彩など、さまざまに実験を繰り返したエスキス等の資料を検証する。そして、彼が制作したコートをはじめとする服飾作品と資料とを相互に検証することにより、フォルチュニーへの日本の影響、また彼の残した服飾作品と日本の意匠との関わりを明らかにしたい。研究者:総合研究大学院大学文化科学研究科博士課程退学、日韓美術史研究者本研究の目的は、従来日韓近代美術史のなかで見落とされてきた在朝日本人画家、加藤松林(1898-1983)と松田正雄(1899-1941)の生涯と作品を跡づけることにある。とりわけ、かれらが描いた「朝鮮風俗」を中心に捉え、「内地日本人」画家の作品とも、「外地朝鮮人」画家の作品とも異なる変形の力学としての産物、つまりクレオール性に着目する。さらに、かれらの言説と朝鮮での画業以外の仕事、美術家との交流、朝鮮総督府との関わり、帰国後の活動などをも綿密に調べることで、生涯をより立体的に復元する。本研究で調査対象とする在朝日本人画家二人を簡単に紹介しておくと、まず、加藤松林(1898-1983)は、1898年、徳島の那賀郡桑野町(現、阿南市)で生まれ、早稲田大学文学部に入学したが、1918年(20才)に父親の仕事の関係で京城に移住し、清水東雲に師事した。朝鮮美展では第一回から最終回まで参加し、推薦作家から審査委員まで歴任した。戦後、1945年に日本に帰り京都の国際学院で美術教師として働きながら1958年には朝鮮での出来事を画文集『朝鮮の美しさ』に纏め出版した。引揚後、加藤松林の日本での活動は、在日朝鮮人における故郷喪失者としてのアイデンティテ李―53―ユンヒ
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