鹿島美術研究 年報第35号
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屛風」(六曲一双・筑波大学附属図書館蔵)があり、さらにこの図様を継承した類作として、狩野安信(1614-85)による「猿曳き・酔舞図屛風」(静岡県立美術館蔵)などがある。これらの作例中に見られる「猿曳き」は、特異な図様として一定の注目を受けてきたが、その典拠や意味などは、かならずしも明らかにされていない。「猿曳き」図様の起源を梁楷の「耕織図巻」に求める説もあるが、梁楷「耕織図巻」の写本には「猿曳き」図様が含まれておらず、両者の関係は、はっきりしない。本研究の筆者の調査によると、足利将軍家には、梁楷筆とされる「猿飼」双幅が所蔵されていたとの記録がある(『御物御画目録』)。この「猿飼」双幅と「耕織図巻」との関係については、より慎重な分析と考究が必要であるが、「落雁」など、いくつかの漢画の図様が付け加えられた耕織図巻の作例である既白筆「蚕織耕図巻」(歴史民俗博物館蔵)に「猿曳き」図様が付加されていることなどを考慮して、「猿曳き」の図様は、足利将軍家所蔵の梁楷筆「猿飼」双幅に由来するという可能性を想定する。さらに、文献上で知られる梁楷画に、「村田楽」を主題とするものがあり、「猿飼」の本来の主題が「村田楽(鼓腹撃壌)」である可能性を追求したい。また、狩野探幽が大徳寺本坊方丈の上間一之間にこの「猿曳き」の図を描いている(現在は焼失)ことは見逃せない。探幽は、この画題(図様)の歴史的重要性をはっきりと意識して大徳寺障壁画として採用した可能性が高い。換言するならば、探幽はこの「猿曳き」という画題(図様)を、足利将軍邸障壁画における梁楷様故事人物に関わるものとして理解していたのではないかと推測されるのである。この研究は、「猿曳き図」の歴史を分析することを通して、足利将軍邸の障壁画の画題と図様とが、いかにして成立・展開し、また後代へと継承されたかについて、その一端を究明することを目的とする。一方、猿を曳く人物に注意すると、その姿が売貨郎のそれであることに気付く。呂文英「売貨郎図」(東京藝術大学蔵)のように、猿を連れた売貨郎の図が存在する。本研究では、中国における「猿曳き」図様についても、基本的な確認作業を行うこととする。―55―

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