問題だったことがわかる。本研究では、瀧口がこのエッセイで述べた意味での写真や映像の「影響」を、同時期の1930年代後半~40年代初の複数の作家・批評家対象に、制作面・言説面の両面において調査、比較検討し、共有されていた問題意識、方法論等を明らかにすることを目指す。制作面の検証においては、特に写真や映像といった機械に基づく新たなメディアを積極的に活用した作家たちに着目し、①長谷川三郎(未発表プリント及びアルバム)、②瑛九(最初期のフォト・デッサン、型紙類)、③ ①②以外の自由美術家協会展出品の写真作品(雑誌・図録等掲載文献・図版)、④吉原治良(1930年代のネガ及びフィルム)、⑤『フォトタイムス』誌等の写真専門誌掲載の美術家による写真作品(雑誌・図録等掲載文献・図版)に関する調査を実施して、それぞれの比較を行う。とりわけ戦前期の長谷川、瑛九、吉原に関しては、現存する写真・映像作品がそれほど多くはないため、実践の全貌が未だ明らかになっているとは言い難い。本研究では、当時は「作品」としては発表されなかった写真(ネガ、プリント、アルバム等)や、個人的に撮影された映像等の調査を行うことで、彼らの実践の実態把握を行うことも企図している。また、言説面の検証においては、⑥『フォトタイムス』『カメラ』等の写真雑誌やアルス写真文庫等の書籍を対象とした文献及び掲載図版について、できる限り網羅的な調査を行う。また、⑦美学者・中井正一の言説に注目し、特に京都大学文書館の個人文書の調査を行う。中井は、瀧口よりも以前の1930年代前半に、メディア環境の変容と芸術のあり方を自覚的に論じた、本研究の枠組みにとって重要な存在である。本研究の第1の意義は、上述の①~⑦の個別調査の結果を比較検討することで、1930年代後半~40年代初の前衛傾向の美術家・批評家が共有していた問題意識、方法論等の一端が明らかになり、結果として、未だ明確ではなかった戦前期の前衛芸術と写真や映画等の新興メディアとの関わりの実態把握につながる点にある。戦後にも活躍した作家も対象とするため、日本の前衛芸術における戦前/戦後のつながりと切断の問題について検討する材料ともなるはずである。また、第2の意義は、作品/資料のカテゴリの垣根を越えた調査対象を意識的に扱うことにより、日本の美術館の制度的限界によって研究対象から外れてしまいがちなモノをアーカイブズとしてすくいあげる可能性を開示する点にある。本研究の調査対象には、「作品」として発表されたもの以外の写真資料、映像資料等が多く含まれる。―58―
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